ブログを書くようになってから17年になります。ヨガはそれよりも少し前にはじめました。
この十数年で、ゆっくり、ヨガが少しずつ日常に影響していきました。今日は大まかにヨガとの付き合いかたを振り返って書きます。
重く感じる内容もあるかもしれないので、わたしのこういう文章が苦手なかたは、今日はスルーしてください。情緒を揺さぶっちゃうといけないのでね。
ヨガをはじめたのは30代のはじまりで、数年ぶりにひとり暮らしになって、しばらく後のことでした。
それまでは結婚していて、自分の心身のためだけに何かをするという発想がありませんでした。
ヨガの話をはじめる前に、最初のインド旅行の話を少しだけ。
20代後半に、パソコンのメッセンジャーアプリ(今でいうLINEのようなもの)で知り合ったインドの人と仲良くなり、ホームステイをしました。
家族も一緒に来たらいいじゃないというので、ヨガが好きだった母を連れて行きました。母は家庭教師の先生と練習をしましたが、わたしは見ているだけでした。
▼リアルタイムでなく、数年後にアップした記録です
縁とタイミングがあってインドへ行っていても、やる気が起こるとは限りません。
それがヨガとの出会いのおもしろいところ。
そのホームステイで、インドの人の生活や考えかた、明るさが好きになりました。
前置きが長いですね。
とっとと振り返りましょう。
30代前半 毎日を終わらせるためのヨガ
就職をしてから、いや、その前から。わたしはずっと不安と欲の力に動かされていました。
30歳になる頃には自分のエネルギーに頭が追いつかないまま仕事をしていて、毎日が繋がっていました。
2004年に中越地震があった土曜も会社で仕事をしていました。
地震のしばらく後に新潟から避難してうちへ来ていた母は、遅い時間に帰ってくるわたしの生活に驚いたそうですが、その間は自分では早く帰っていたつもりでした。(わたしの両親は離婚しており、母の住む地域の被害のほうが大きかったのでした)
いま思うとIT業界自体が少し躁的で、いろんなWebサービスが立ち上がってシェアの取り合いをしていました。
このブログのプラットフォームである「株式会社はてな」さんの創業が2001年ですから、そういう時代でした。
ヨガの話がなかなか始まりませんね。
無駄話が長くてごめんなさいね。
その地震があった2004年の秋に、近所に住んでいた同僚がホットヨガ(メニューはハタ・ヨガ)に誘ってくれました。気持ちよくてすぐに入会しました。
その教室はインド人の校長先生の話がおもしろく、漫談を聞くノリで通いました。毎週参加していたらティーチャートレーニングに誘われてインストラクターになりました。
アシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨーガを知ったのは、それから3年か4年後です。
職場の近くのスポーツクラブ(TIPNESS)で、平日の朝にクラスが開催されていました。芯のある人間になることを目指していくヨガに見えて、休日にもドロップインクラスを探して出かけていく回数が増えていきました。
その後、初めてひとりでインド旅行へ行き、リシケシという街で居心地のよい練習場所と親切な先生に会いました。
実生活では否認の病をもつ父と一緒に住むためにさらに引越しをし、過積載な日々が始まりました。
当時のわたしは止まらないようにエネルギーを回し続けていて、毎日がお正月の海老一染之助染太郎状態。回して、回して、いつもより多く回していました。
まだ父の病の仕組みを知らず、自尊心を人間の心の機能として捉える知識もありませんでした。いま思うと、知らなかったからできたチャレンジでした。
30代後半 できるを楽しむヨガ
ヨガのいろいろなアーサナ(ポーズ)の「できる」が繋がって、観察も細かくなり、充実度が増していきました。解剖学や身体論も勉強しました。
多くの人と知り合い、さまざまなヨガがあることを知りました。
やりすぎ=現実逃避に陥るマインドを認めざるを得なくなった時期でもありました。
実生活も変化があり、生きかた・考えかたを変えなければいけないと思いました。だけどそもそも、「自分の生きかたを考える」がわからない。どこから手をつけていいのか。
そのように混乱しつつも日々をこなしていたら、職場で大きく組織変更をする流れがやってきました。環境を変えるきっかけがつかめずにいたところに、気持ちを切り替えるタイミングがきました。
そこで仕事を辞め、家のことを区のサポートの人に協力してもらい、3カ月ほど日本を離れました。初めて長く休みをとりました。インド・リシケシで親しんでいた道場のティーチャー・トレーニングコースに入りました。
日本でハタ・ヨガを教えてもらっていたインド人の先生には内緒で行きました。
それ以前の旅もインドへ行くと言うと心配されたので、言いませんでした。先生が心配するのは「インドなんて危ない!レイプされちゃう!」という一般的な理由です。(僕の家に行けばいい、と言われちゃう)
インド・リシケシでは練習&勉強漬け。ヨーガを心理学として学ぶ時間がありました。アーサナの他に、いろいろな練習・浄化法をやりました。
哲学の授業では、選ぶトピックの遠慮のなさ(=実践的)に驚きました。神話や聖典の存在も知りました。この時期の勉強をきっかけに寓話や物語に向き合えるようになりました。
長い小説や本が読めるようになったのは、この時期を経てからです。
帰国後すぐに仕事を探して動き始めましたが、経験は活かしつつ以前とは違う生活を模索しました。
家のことを外部の人に頼ってみたことで現実が可視化されました。区の人から帰国早々にギブアップされました。アドバイスを受けながら問題に向き合いました。
ここで絶望しなかったのは、心について掘り下げる授業を受けてきたから……、と言いたいところですが、それは自分の経験を美化しすぎです。
絶望もしていました。
40代前半 性質に向き合うヨガ
それはそれとして生活は続きます。
行動時間とエリアが変わり、練習をそれまでとは別の場所でやるようになりました。ヨガスタジオが主要駅近くにチェーン展開されているのは、こういう人にはありがたいことです。
ヨガは家でひとりでもできるけど、わたしの場合は家の心配事からの解放の場として、外の居場所の存在が大きくて。
精神面では、考えかたの癖や記憶の引き出しかた、性質や脚色する心を見るようになりました。
インドで習った「意識は言葉」という教えにインパクトがありました。棚上げしていた感情が大袈裟な演出で出てきても驚かないように、自分の思考と距離を置く視点を少しずつ持つようになりました。
実生活では家の問題について、30代の後半から警察・病院・区や施設の人など、社会の仕組みの網に引っ掛けてもらって、それが少しずつ連鎖していきました。
何年もかかりましたが、わたしの心がひとまず安心して暮らせる状況が手に入りました。
インドのダルマ(秩序)の話をしながら、足元にある日本社会の仕組みを信じていなかったこと、自分が自分の人権を尊重していなかったことに気がつきました。神は近くにいた。
思い出すと息苦しくなる経験で、スイッチを押したように感謝の涙が溢れます。
わたしはヨガをしながら、学んでいながら、もがいてきました。
子どもの頃、40代ってものすごく大人だと思っていませんでした?
子どものように泣きながら、社会の仕組みに助けてもらいました。
40代後半 体温を整えるヨガ(just now. いまのあたくし)
それはそれとして生活は続きます。
安心して暮らせるようになってしばらく経ってから、ヨガの教えの取り入れかたについて考えるようになりました。
それまで「インドとヨガ」について知識を得ようとしていたのが、「人間」を見るように変わってきました。
『INSIGHT YOGA』を読んだのも数年前で、陰ヨガを知るためというより、序盤で展開されるサラ・パワーズさん個人のヨガの振り返りが興味深く、以前友人にチラ読みせてもらっていた本を買いました。
実生活ではパンデミックの始まりと転職が重なって大変なこともありましたが、また生活が変わりました。特に食事が変わりました。
年齢的なもので起き抜けの発汗が起こるようになり、練習中の自己観察でも体温調節(自律神経の機能を促す)という目的が上位にあがってきました。
体温とメンタルがアップダウンする角度をゆるやかにしていくよう意識する瞬間が増えました。
身体と精神が連動する変化については、思春期と同じように、そのときしか経験できないことです。自分なりに言語化して残していけたらと思っています。
少し前に書きましたが、今年からカツオを信仰しています。わたしのマッツェンドラナート(魚の王)です。
みなさんの生活とヨガの変化はどうですか?
わたしはここ一年ほど、ふたつの場所へヨガの練習に出かけています。一箇所はおもに平日に自転車移動圏内へ、もう一箇所はおもに休日に、地下鉄に乗って出かけます。朝に行うヨガ・夜に行うヨガ、それぞれにメリットを感じています。
家で練習をすることもありますが、わたしは場所を変えることで気分転換がしやすく、在宅勤務になってから特にそれを感じています。
自分で開催・指導するヨガクラスは週末に活動しています。
わたしが今日このテーマで書いたのは、ヨガをいいなと思った人がわたしのブログを見つけてくださった際の自己紹介を兼ねたいと思いました。
そして書いてみて気づいたのは、ヨガの練習のことだけ書こうと思っても、それだけでは話を組み立てられないことでした。
振り返ると時間薬が必要な大きな穴がいくつもあるけれど、ヨガの練習をキーにして、十数年を少し切り出して文字にすることができました。
言葉にするのはしんどいけれど、発しないと誰とも繋がりません。
自分のなかでは思い出そうとするだけで頭が白くなったように感じる穴もあります。それも含めて日々は続いています。
この ”頭を白くしようとすること” と、否認の病の “否認” は、たぶんよく似たもの。違いはそこで依存物質に手を出すかどうか。
客観的な視点を保ちながら生きていくには深い知恵が必要であることを理解するのに、わたしの場合はヨーガの心理学に助けられました。
書きながら気づいたパーソナルなこと
相手のあること(家族や元家族のこと)は、その人のことを尊敬しているので、書くにあたってポジションどりができませんでした。
少し前に、血縁ではないけれど子どもの頃に家族と思って一緒に住んでいた人のことを振り返って書いたときにも同じことを思いました。
わたしの頭の中のハード・ディスクを開くと、苦しいやり取りがあった人との関係も、ありがたい気持ちになったことを記憶しているので、その人は親しみのフォルダに入っています。
被害者の設定で文章を書こうとすれば筆が乗って何万字も書けそうですが、わたしの場合、苦しみは “親しみの気持ちを捨てること” のほうにもあって。
なので、ヨガをする人がよく言う「すべてに感謝」は、もう一段階先。そこを一足跳びに行くのは、わたしの場合は近道ではない気がしています。
(「すべてに感謝」はアファメーションとしてはアリです。今しているのはその話ではありません。わたしの内省の経験の話をしています)
☆ ☆ ☆ 以上よ! ☆ ☆ ☆
そんでね。
それはそれとして。
わたし練習の時間になったら「はい、次は片脚立ち!」とサッと取り組めちゃうのが、ヨガのある生活のいいところだと思っています。最初のヨガの先生がそれを教えてくれました。
人間関係も悩んでいることも泥臭く生徒に見せておきながら、練習のときは「サッとやってね」とおっしゃる。
先生は昨年亡くなられてたのですが、思い出して考えるのは、先生とわたしはたまたま世代が30年ほどズレていただけで、同じ時代を共有したということ。
みなさんもいろいろなことを乗り越えながらの日々かと思います。
あなたはいま、どんなヨガをされていますか?
鼻うがいもヨガで覚えた習慣です。