うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

意志を立ち上げて行為している人にお金を払いたいと考えるようになったときのこと

インドのリシケシという場所は「ババ」といって、旅行者と友だちのように接したり「チャパティ…」とつぶやいて「それを食べるお金を…」と金銭を求めてくるオレンジ色の服を着た人がいます。いろんなパターンがあります。


今回は若い、まだ30代であろうおしゃれなババからよくわからないことをされました。
なんとなくお互いの自己紹介をしながら道を歩き、そろそろ学校に着くなという場所でお金を出そうとしたら「ババはお金をもらわないんだよ。わたしはただ、空腹なんだ」といってわたしをヨガ教室から3軒離れた食品店に連れ込み、500ルピーのギー(食用精製バター)をドンとレジに置いて「君に助けてほしいんだ(支払って)」といわれたことがありました。
そのときは大きな紙幣は500ルピー1枚しか持たずにヨガクラスを受けに来ていたので、「これを支払ったら練習に参加できなくなってしまう」と伝え、3軒手前の学校へ戻ることにしました。
そうしたら、さっきまでのゆったりとした足取りはどうした、という速さでその人が追いかけてきて「ならばさっき僕に渡そうとしたお金を出しなさい」といってきました。はじめから受け取っておけばいいのに。


以来、わたしはコスプレしている人に積極的にお金を払うようになりました。

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この人は、このためにメイクをしたりコスチュームを纏うという意志を毎日明確に発動して、毎日同じ場所にいる。「ぼくはハヌマーンだよ!」とあいさつしてくる。コスプレという出オチ感に誠実さを感じる。

 

 

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こういうのを巻いてくれる。お寺でも巻いてくれる紐。暑いなかフルメイクで巻いてくれる。

 


「お金をもらわないんだ」と言いつつの高額品のおねだりは、なんというか、パパ活ママ活に遭ったかのような気分。一緒に話をしてスピリチュアル気分を提供しますというわけか…、などと心の中で毒づいてしまう不浄感満載のわたし。こんな思考を引き出されることへのこの怒りは、リシケシにいるからこそ感じるものなのか、それとも日本で日々蓄積させてきたものとの併せ技か。
この土地の雰囲気にどっぷり呑まれることができない。

 

 

おまけ:リシケシの象徴的存在

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この町の看板ボーイ。毎日確実にお店の前に居る人。お肌ぷちぷち。

 

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存在することを仕事にしている。どの角度から見ても不気味。プロだ。

いろんな仕事があるものだ。