うちこのヨガ日記

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ラヴァナ王の物語/魔術師(ヨーガ・ヴァーシシュタ第3章にある寓話)

今日は『ヨーガ・ヴァーシシュタ』第3章にある『ラヴァナ王の物語』に登場する魔術師について書きます。前回の続きです。

 

この物語のおもしろさは、魔術を見る人たちが “魔術師慣れ” していること。

わたしは谷崎潤一郎の『ハッサン・カンの妖術』と、それを元に二次創作をした芥川龍之介の『魔術』が好きで、いずれもインド人から妖術を習う物語ですが、日本人は魔術師に対する反応がなんというか、ウブだなと(笑)。

そんなふうに思えてくるくらい、本場のみなさんは魔術師の登場に慣れてる。

 

不覚を詰める側近

この物語は、ラヴァナ王が催眠術から覚めたときに、大臣たちが「殿、御乱心でござるか!」みたいな反応をするときのセリフからしていきなりおもしろく、つい脳内で畳の間に映像が変換されてしまいます。そんなわけないのに。

 

そ、そんな言いかたで外堀を埋められたら、なにも言えなくなっちゃうじゃないの・・・というくらい、側近が詰めます。

「王様。あなた様は大いなる知恵をたずさえた偉大な王ですぞ。それなのに、幻想があなた様を圧倒してしまったとは。いったい何が起こったというのですか? この世の些細な物事や妻や子供などの偽りの関係性に執着する者だけが精神的な倒錯に陥るのです。至高なるものに献身するあなた様のようなお方にそのようなことが起こるはずがありません。知性を培わなかった者だけが魔法にかかるのです。高い知性をたずさえたあなた様にはあり得ないことです」

90より)

こんなふうに言われたら、しんどい。

まるでバカ殿扱いじゃないか・・・。

── と、ラヴァナ王はならない。

殿じゃなくて王様だから。

 

 

続きです。

 これを聞いた王は、いくぶん平静を取り戻したが、恐れ慄くように魔術師を見つめると、こう言った。「魔術師よ。お前はいったい私に何をしたのか? お前は私に幻想の網を覆いかぶせた。賢者でさえマーヤーという魔術に打ち負かされることもあるというが、ほんの一瞬の間に、私は驚くべき幻想を体験したのだ」

ここから、王は自分が見てきたことを語ります。

(「賢者でさえマーヤーという魔術に打ち負かされることもあるというが」と、見栄を張っているところが、なんかインド人ぽくておもしろいです)

 

で。

その話を終えたとたんに、魔術師は姿を消します。

それを見て大臣はこのように言います。

 ご覧ください。彼は魔術師などではあり得ません。なぜなら、お金にも報酬にも興味を示さなかったからです。ある神の使いが、あなた様と私どもに宇宙の幻(マーヤー)の力を示されたに違いありません。

 (中略)

あれは魔術師のトリックではありません。魔術師なら褒美のために何らかの芸を見せるでしょう。あれはまさしく幻の力だったのです。だからこそ、魔術師は褒美を望まずに消え去ったのです。

92より)

報酬に興味がない=神の使いと考える。

 

 

魔術師の正体

この出来事を見ていたヴァシシュタ仙は、その正体が誰の使いだったのか見抜いていたそうです。

このようにおっしゃいます。

インドラ神は、それが誰であろうと、その力を試すためにあらゆる難関を与える。

98より)

インドラ神なんですって!

 

 

ここを読んだときに、ひとつ気になったことがありました。

この物語の中では、幻想の網を覆いかぶせたインドラ神の「網」が、仏教の逸話にある網とは意味が違っています。

 

 

日本の国語辞典では仏教の逸話の意味だけが出てきますが、コトバンクのブリタニカ国際大百科事典・小項目事典には両方が記載されていました。

因陀羅網 いんだらもう indrajāla

インドラ神の網のこと。インドで一般に魔術の所産の意に用いられた。華厳仏教では,インドラ神の宮殿にある網で,結び目に宝玉がつけられ,宝玉同士が互いに映じ合って,それが無限に映じるとして,重重無尽の理論を説明するのに用いられる。帝網 (たいもう) ともいう。

インドでの意味も記載されていました。

『ラヴァナ王の物語』に登場するインドラの網の意味は、もちろん前者の「魔術の所産」。

 

 

日本人がインド思想を学ぶときにありがちな、漢訳仏教用語がいつの間にか入っていて、するっとそれを想起してしまうケースをここに見つけました。

わたしは仏教の逸話と記憶が混ざってしまうことがよくあるので、こういう辞書の存在はとてもありがたいです。少し前に宮沢賢治の『インドラの網』を読んだところでした。

 

 

それにしても。

この物語で王の不覚を詰める大臣たちの、まあ弁の立つことったら!

この世界で王様をやっていくのは、さぞかし大変な立場であろうと、そんなことをつい思ってしまう『ラヴァナ王の物語』です。

 

 

 

<余談>

この物語に登場した魔術師は、幻を見せる時に孔雀の羽を一振りしていました。

孔雀の羽=マユールのピンチャ、です。

(ピンチャ・マユーラ・アーサナは孔雀の羽という意味です。ですから、芯はピーンとしながら、皮膚はふわーっとしてくださいね)

 

 

写真の孔雀はオーロヴィルで見た孔雀です。