うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

罪と罰 ドストエフスキー著/亀山郁夫(訳)

ものすごい格差社会の話でした。

最下層の人は信仰に救われればいいよね、と、そこに不条理を丸投げする話にも見える。

これから「法」の意義が問われていく、そんな激動の時代の話でした。

 

そもそも、信仰でギリギリ持ちこたえる人々の状況が過酷です。

冷たい社会の中で、人間の思考が現実生活に悪く影響してしまう様子と心の内面が描かれていました。

 

日本の幕末時代と同時代のロシアの話なのに、これがどうにも、人ごとじゃない。

読みながらここ数年のうちに日本で起こったいくつかの事件を想起し、小さな個室で思考力を鍛えてしまったがために苦悩する23歳の主人公への既視感に苦しくなりました。

こんな話だとは知らなかった。

そして、まさかこんなにも橋田壽賀子的エンタメで三谷幸喜的コメディだとも知りませんでした。読んでみなければわからないものです。

 

 

それにしても。

この小説はなんでこんなにおもしろかったのか。

ずっと理由を探るなかで、ひとつ気づいたことがありました。

この小説には、

 

 

 尊敬すべき年長者が一人も出てこない!

 

 

ここがおもしろさの秘訣でしょう。なかなかできないことです。

物語の展開に触れないように、視点を三つに絞って感想を書きます。

 

 

カミセンは優秀だけど病んでて、トニセンが沼

20代と40代の対比を通して、「中年はどう仕上がるべきか」という命題がズシンときました。

主人公を中心に、20代の面々はとことん暗くても未来があり、若さとは痛さであり、拗らせであり、中二病であることを存分に見せつけてくれます。

それに対して、over 40勢がひどい。渡る世間はクズばかり。

中年たちの長ゼリフ(自己弁護)のオンパレードが、若者にとって罪そのものが罰たり得る理由を教えてくれます。

 

そのちょうど真ん中世代にあたる “30代の古畑任三郎  が、絶妙な立場で若者と接します。この人は予審判事という職種なのですが、事実上は刑事です。

 

こんなふうに、登場人物の立場とキャラクター設定がものすごくおもしろいんですよね・・・。

不都合なことは全部「スピリチュアルおしん」が背負ってくれるので、年長男性たちが全力でクズっぷりを開陳できる構図になっています。

 

 

人間の弱さ図鑑のようで、つい読まされる

取り扱われている「そうそう、人にはこんな弱い面、あるよね」のバリエーションが魅力的です。

こんな人たちが出てきます。(ほんの一例です)

 

  • 酔った勢いで好きな人の前でつい自分を盛って他者を下げたことを健全に恥じる人
  • 心を開きたいのに “やっぱり閉じておいてやる” という選択を続ける中二病青年
  • なにごとにも興味が持てないのに下心と執着だけは湧いてくる中年男
  • 立場の弱い女性が窮地にあり、恩を売れるとわかった途端に腕まくりをする男性
  • オリジナルな考えはなくトークだけやたら饒舌な意識高い系ヤング
  • やさしくしたらまた地獄に落ちる腐れ縁の中で情を手放せない演歌の女
  • 従順な態度で難を逃れらようと消極作戦をとり、さらにいじめられる女子
  • フラれることが確定してもなお支配欲をむき出しにすることを制止できなかった男
  • お呼びじゃないのにわざわざ多くの苦行を望んでやってきて、かき回すだけの人

 

まるで大衆向け週刊誌の目次のようじゃないですか?

実際、そんな下世話なおもしろさがあります。

 

 

スピリチュアルおしん問題

人間の俗でダメなところを宗教観でがっつり支えてくる構図が、日本の小説ではなかなか見られない特徴です。

わたしはそれを始終

 

 

 「スピリチュアルおしん」に押し付けすぎでは?

 

 

と思いながら読んでいて、この感覚は読了後もあまり変わりませんでした。

この「おしん」的な登場人物たちについて、第二巻の巻末・読書ガイドにこんな解説がありました。登場人物名は○○で伏せておきます。

 すでにご存知の方も多いと思うが、ここでは○○と△△のふたりが、どこか神がかった女性、すなわち「ユロージヴァヤ」であることが暗示されている(本書では「神がかり」の訳で統一してある)。

 ユロージヴァヤ(女性)/ユロージヴイ(男性)は、ごくかんたんに説明するなら、一般人のような知性をもたず、その生き方そのものによって神に近づこうとする苦行者をいう。語源は「キリストのために愚者をよそおう」から来ており、もともとはビザンツの伝統をくんでいる。問題は、それがほんものの「神がかり」か「えせ神がかり」か、判別がつかないところである。

こういうところが、ロシア文学のエグみの下支えになっている。

これはトルストイの本でも感じたことです。

 

 

   *   *   *

 

 

今日は物語の展開に触れずに感想を書きました。

文章の魅力の面では、小さな子供のかわいい仕草の描写が異常に上手かったのがとても印象的でした。この人、感受性が柔らかいな・・・という要素が随所に見られます。

名前が「ドス」で始まるからなんとなくごついイメージを持っていたのだけど、なんのなんの。ソフトエフスキーです。改名したほうがいいと思う。

 

読後の異様な余韻も含めて「そりゃ人気なわけだよね」と、納得させられる名作でした。

 

▼読みやすい光文社の本で、全3巻でした

 

▼感想を絞ることができたのは、AIに話を聞いてもらったおかげです