うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

取り戻そうとする思考の時間は早く過ぎる

上半期が過ぎましたね。わたしは今年に入ってからつい最近までの間にいくつか失敗をして、えええーもう8月になるの!? というくらい月日の流れをとても早く感じています。
なにかを失った、取り戻せない。でも取り戻したいと思うとき ── たとえばいつも使っている道具が壊れたとき、いつもやっていることの根本的な間違いに気づいたとき、いつも行く場で失態をやらかしたとき…。こういう時に過ぎていく時間の早さをいつも不思議だなと感じます。自己弁護の脳内おしゃべりは、あっという間に時間を消費していく。


実況すると「がーん」「いや、落ち着け」「どよーん」「いや、がんばれ」「しょぼーん」「いや、とにかくやれ」と、まるでアルジュナとクリシュナの時間が同時に過ぎているかのよう。しょんぼり役と励まし役を二人分やっているから倍速なのか。そのくらい、あっという間に時間が過ぎていて驚きます。


わたしはこういうときに、自分の「欲」の存在をありありと感じます。
物欲や食欲などの感覚的な欲は年齢とともに少しずつ減っていくけれど、保持したい・失いたくないという欲はある。どんなに生活をシンプルにしても、しょせん要らないものを捨てているだけ。
同時に、自分はそんなに欲をそぎ落とすことを考えて、いったいどうしたいのだというツッコミの気持ちが起こり、一年以上かけて先日読み終えたガンジーの自伝に影響されていることに気がつきました。

ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)

ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)

(この本です)
ガンジーの自伝には、外国でインド人や肌色の濃い人が差別される様子がたくさん書かれていて、ガンジーはそいういうことに対してわりとそのままというか、考えてはいるけれども怒ってはいなくて観察している。自分の権利が当然のものと理論上は思っていても(ガンジーは外国で弁護士の仕事をしていた)、もともと持っていたものを失ったわけではないから、ほかの活動よりもおとなしく見える。


この感じは、わたしが「氷河期世代」「女性の権利」「非正規雇用」など、自分が不利だとされて語られる情報を見ても反発心が起こらないことと似ています。もともと当然のようにあったと感じていたもの(保持したことのあるもの)を失ったわけではないから、ぴんときていない。昔の女性よりも言葉を使って発言させてもらえたり学校に行かせてもらえたことに対して、ありがたい時代に生まれたと思っているのです。夏目漱石の「虞美人草」の時代に生まれていたら、わたしもあの小説の女性と同じ理由で死んでいただろうし、少なくとも40代までは生きていない気がする。今の人生を、自己主張もさせてもらえる機会のあった、儲けた人生と感じている。

 


自分にとって、当然もともとあるものと信じていたことってなんだろう。それを大切にできるようにするには、どうすればいいだろう。ガンジーの自伝にはバガヴァッド・ギーターの教えも引用されていて、始終葛藤だらけです。この生きざまは「信じるもの」の探しかたの勉強になる。
ガンジーの自責っぷりや自問自答を追うと、読んでいるだけで痩せそうになります。
(実際には痩せませんけど!)