うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヒッピーと太陽族

ふと想起することがあって、太陽族を描いた映画『狂った果実』を観ました。

数ヶ月前に、同じ原作者の映画『処刑の部屋』を観たことがあって、スティーブ・ジョブズの公式伝記を読んでいたらヒッピー時代の話があって、そこから太陽族を連想しました。

 

 

日本の太陽族1950年代で、スティーブ・ジョブズのヒッピー時代は1970年代です。

当時、大学の先輩から大いに影響を受けた様子が第3章「最初のカリスマ、ロバート・フリードランド」に書かれていました。

 

インド放浪と自分探しを経たアメリカのヒッピーたちと日本の太陽族が違うのは、東洋思想への傾倒の有無です。日本人はそもそも東洋に属する側なので、それを新しいものと感じません。

ヒッピーには根本にキリスト教への懐疑と絶望があり、太陽族はもっと手近な教師・目上の人々に絶望し、小バカにしています。

 

 

アウトプットには共通点したところがあります。周囲の人間をモブ扱いし、見下して良いと見なした対象を雑魚扱いし、こんな非情なこともしれっとできる俺という振る舞いをしては、年齢の近い男性同士で “かっこいい” “すごい” と憧れる。

「時計仕掛けのオレンジ」のような世界です。

 

 

スティーブ・ジョブズの伝記には、のちに金融家となったロバート・フリードランドのほか、同じくニーム・カロリ・ババ(ヒンズー教の導師)に傾倒していた人物としてラリー・ブリリアントという人物(のちに国連の外交官となった医師)が登場していて、わたしは伝記を読むまで、スティーブ・ジョブズがこんなもガチな人とは知りませんでした。

闘病を開始してからも、かつて傾倒していた思想の影響を持ち続けたエピソードとして、食事に関する考え方が何度も書かれていました。

 

 ジョブズの場合、食べ物に対する考え方の方が問題をさらにややこしくしていた。若いころ、断食で幸福感や法悦が得られると学んだため、食べるべきだと頭ではわかっていても──医師らは頼むから良質のタンパク質を食べてくれと言っていた──無意識のうちに断食やアーノルド・エーレットの果物食など、ティーンエイジャー時代と同じものを求める本能のようなものがあるというのだ。

<第40章 三度目の病気療養休暇(2011年) より>

 

「精神がラクになるように食べる」という意識から「肉体が生き延びるために食べる」への意識の変換って、できる限りの治療が可能な状況になっても、それはそれ。

 

この信念のしぶとさは、「圧倒的にかっこいい、ワクワクする製品を作る」という意識から「早く稼げる製品を作る」という意識に簡単に変わらなかった人らしいといえば、らしい。

 

 

日本とアメリカの時代感覚

 

尊敬すべきとされるものが信用できなくなったときに生まれる反発のエネルギーと、尊敬すべきものを尊敬できる状態で発するストレートなエネルギーについて、わたしは最近よく考えます。

前者のほうが「若さ」と表現されるのは興味深いことです。

 

▼めちゃくちゃオシャレな映画でした