うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

防府天満宮と、秋も風が気持ち良い春風楼(山口県防府市)

防府駅で降りたらおもしろいくらい強めにレンタル自転車を進められ、なりゆきで銀座商店街を抜けて防府天満宮へ。ここまで気負いなくあっさり観光スポットへたどり着いたのは人生初かもしれません。

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着いてみたらば奥がなかなか広く、歩いても歩いてもなにかがあります。ところどころに面白いスポットやめちゃくちゃ気持ちの良いスポットがあります。なのにふだんはあまり商売っ気のない様子の天満宮

 

 

なにげに広くてたくさん歩ける!「面白きこともなき世をおもしろく」


裏も見どころが多く

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なんかアテレコしたくなる男女の像があったのですが、いきさつを読んだらけっこうシリアスだったので脳内でアホなセリフを組み立てることをやめねば、やめねば…と自らを制しながら歩きました。立ち止まってはいけない。

 

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「面白きこともなき世をおもしろく」
このフレーズ好き。おもしろいことを考えるのを制していたので、なおさら。

 

春風楼というスポットが、めちゃくちゃいい

どこがいちばんのみどころかと聞かれたら、わたしは春風楼と答えます。

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ここです。

 

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春風楼から見た天満宮側。

 

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すてきなご夫婦らしき人々が眺める景色は

 

 

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じゃーん。という感じなのだけど、それよりも

 

 

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段差とかスペースの感じがすごくよいのです。

 

さらに

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中の彫り物がすばらしく、名工が造った感があふれ

 

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ここで楽しいことを、いろいろしたのだろうな~、という

 

 

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わくわく感のあるプラーナで満ちている!

 

そもそもこの天満宮の入口の時点で

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さては本気でわくわくさせようとしているな、と覚悟はしていたのだけど、春風楼が最高。

 

さらに、裏から降りても楽しい

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なんとなく春風楼の横に気になる階段があったので降りてみたら

 

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これなんていうのかしら。プチ伏見稲荷みたいなことになっていて(こういうのよく見るのだけど)

 

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民家の道からも上がれるのでした。

ここを上がったり降りたりひとりできゃっきゃして、けっこう歩いてお腹が空いたので商店街の終わったところにある天満屋の近くのこのお店で定食をいただいたのですが

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ものすごいおかず種類で美味しいのに、なにかの間違いかと思うほどリーズナブル。最後にびっくりしました。自分は特別なランチを注文したのだと思っていたら、それが普通のランチであったというオチ。
この店、めちゃくちゃおすすめです。(一般家庭風のお店だったので中の写真は撮っていません)

 

防府は町の人がマイペースでたのしい印象をもちました。とくに年配の女性たちが楽しそうなのがよいです。おしゃべりしながら異様に品数の多い定食を作っていたり、ものすごくお得かのようにレンタル自転車を半額と言ってすすめてきたり。置かれた場所で咲きまくっているおばさんがあっちにもこっちいにもいて、弟子入りしたくなる感じでした。

防府で銀ぶら。銀座商店街と天神商店街、旧山陽道をぶらつく(山口県防府市)

山口県防府市で銀ぶらをしてきました。「ぼうふ」だと思っていたのですが「ほうふ」です。行ってみたら音の響きのとおり、焼き芋を口に含んだ瞬間のように、ふはっと笑顔になってしまうことの多い町でした。
駅で降りて観光案内所でコインロッカーの場所を尋ねたら、「いまキャンペーン中で、いつもは200円のレンタルサイクルが半額で100円ですから!!!」といって強めに自転車の利用を勧められ、200円でも借りたよ!と内心思いながらうれしそうなリアクションまでして自転車を借りることにしました。こういうときって、どうすればいいの。

案内所の人から "ご予定" を訊かれたのですがわたしに "ご予定" はなく、完全に案内所の人のペースでなんとなく有名な防府天満宮へ行くことにしました。毛利氏庭園へもぜひ行ったほうがよいと言われたのですが、結局今回の散策では別の場所へ行くことにしました。それはそのうち書くとして、わたしはこの防府という町がとても好きになりました。
主要な観光スポットは歩いていける距離にあるのに、200円のレンタルサイクルを今なら半額とプッシュしてくるその気概がたまりません。乗せちゃえばすぐ楽しい場所があるのだからという自信からでしょうか。好きな種類のオウン・ペースです。

 

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今なら半額の特別な自転車に乗って、銀座へやってまいりました。こぎ始めて1分くらいです。余裕で歩いて来れるじゃないか!

 

 

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そしていきなり、特別な自転車を停車せずにはいられない展開になりました。

 

 

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これが防府の銀座です。

 

 

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ノスタルジックが止まらない展開です。

 

 

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この商店街を抜けると、天神商店街という名前に変わり、防府天満宮へ近づいていきます。

 

 

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防府霊場があったのでお参りをしました。ここから数十メートルのところがもう防府天満宮の入口です。

この町はほかにも

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味わい深い通りがあったり

 

 

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昭和レトロ建築の家のような小さな病院のような建物がいちいち気になり、よく足を止めました。わたしが子どもの頃イメージしていたお金持ちの人の家って、こういう感じなのです。ドラマの影響かな。

 

防府へは、山口宇部空港からなんとなく新山口駅行きのバスに乗る人が多かったのでついてゆき、新山口駅からJRで来ました。

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新山口駅はちょっとした美術館のように近代的でした。

ここからしばらく断続的に山口旅行記になります。

評論家になったらもう練習の主体じゃないから、そりゃつまらなくもなる

先月ブログの引越しをしたのと同時にプロフィールの文章を書き換え、それを読んで広島・名古屋開催のクラスへ来てくださった初対面のかたとのやりとりから思い出すことがありました。

広島でも名古屋でも、練習への感想としていただいたフレーズのなかに「変な緊張感のなさ」をあげてくださったかたがいて(表現はいろいろ)、わたしがあまり直接的な言葉で出さないようにしてきたメッセージを受け取ってくださっていることをうれしく感じました。
何年もヨガをやっている、あるいはヨガについて気にかけている時間が長いというだけで評論家のようにヨガの話をするようになると、もう練習の主体ではなくなってしまう。そういう意識をまとった練習はそりゃつまらなくもなるという光景を、わたしはこれまでに何度か見てきたのでした。たのしく練習をしていたら、まず練習そのもののことを語りたくなるはずなのに、と。なのでメンタル面での複雑なことについては、メッセージをオブラートに包んで書いてきました。でも見抜かれてた。見抜かれてうれしい! にゃーん(←こういうとき便利ねこれ)。


これはヨガに限らずたとえばお稽古事や会社組織などでもそうですが、行為に対して評論家のようなフレーズを用いる瞬間というのは、たぶんすでに行為そのものに飽きていて、でも関係所属欲求のようなものは残っている。「◯◯に関わっているわたし」という上着を習慣で着ている。手放せない。そんな微妙な状態。


わたしにはこの感情に似た記憶があります。中学生の時、土日に私服で学校の人に会うくらいなら体操着で出かけてしまえと判断していたときのことを思い出すのです。ちょっとジュースや雑誌を買いに行くときに、制服だと従順すぎる下僕みたいだけど体操着ならそんなふうにも見えないし、と。私服で認識されるのが怖かった。
主体的に選んだものを着ているわけではないから、服装の話は苦手。中身の面で話すことがない。そんな状態でふいに服装の話になった時に、唐突に「なんかみんなが着ているあの流行りの服って、足が短く見えるよね」なんてことを口走る。中身の面でいま話せることがないから。

 


わたしはヨガの練習を評論する人を見て、うーんそこまで言っちゃうと戻りずらくなってしまって、悪手じゃない? と思うことがこれまでにたくさんあって、自分はそれをしない理由も考えてきました。いちど敬愛したものをdisるのって、精神的につらいんです。(こういうときは「disる」が異様にマッチする。なぜか。それは言葉の由来をググってください)

 

 

わたしにはそんな振り返りがあるので、評論家のようなフレーズを用いる人たちの頭の中では、わたしが中学生の頃に休日に体操着をチョイスしていた瞬間のようなアルゴリズムがはたらいているのだろうと仮説を立てています。そのうえで、そういう状態を経験した人も楽しめる練習の場を考えています。

 

 あなたがなにをしてきた人でもいい。
 どこの学校の出身でもいい。なにものでもいい。
 今この瞬間、わたしと一緒に、これやって!

 

という熱量を大切にしています。
なんかいろいろめんどくさくなっちゃって評論家みたいに一歩離れたスタンスの口調を選びたくなる中二病マインドをわたし自身が知っているからこそ、そうしています。帰ってからも練習のことを考えたくなる、おとなになってからのそんな時間はとても貴重だから。

社会の中で居場所がなくなってしまう、居場所がないと感じてしまうことも、わたしにとって思春期とは別の背景でこれから直面していく新たな課題です。端的にいうと老害化しないということなのだけどそれはまた別のときに書くことにするとして、いまは過去に好きになったものの「好き」のエッセンスを残すにはなにをフィルタすればよいのか、ということに意識を向けています。


だいじなことだと思うので、今日は最後にもう一回念押しします。一度好きになったものをdisるのって、すごくつらいんです。記憶している過去の respect を dis とみなすことは、過去の自分を呪うこと。自分を好きになるためには、最低限そこのロジックを認めないと、先へ進めない。

ヨガは自分を好きになるツールと言えばとても耳当たりがよいけれど、教典を読んでいるともっとパンチがあります。ヨガは過去の自分を恨まないための教えであると感じるのです。その過去というのが現世(現生)だけでなかったりするのがまたインド心理学のやけに深遠なところではあるのですが、せめてこれまで記憶しているぶんの自分の「好き」を大切に抽出しながら日々を楽しんでいきたい。わたしは練習に対して、いつもそういう思いがあります。

 

 

わたしよりもヨガ暦が長いんだろうな~とか、これまでにあちこち行ってみたのかな~と思う人に練習が楽しかったといわれると、すごくうれしいです。

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なんにもしなければなんにもない空間。みなさんが居なくなったあと、ぽつんとひとりで「あれは、幻だったのだろうか」と思う時間は、わたしにとって自分と向き合う時間。

ざっくり30年前、まさに中二病で休日に体操着を着て近所へ出かけていたわたしは、いまはその3倍も生きて(まぢかー)、やっと休日に自分の意志で、自分で選んだ体操着を着ることができるようになりました。

 

 

さてさて、次は神戸へまいりますよー

しばらく移動続きでお知らせメールをお送りできず、ブログでの告知だけでヒイヒイいうとります。お会いできたときに、できるだけ愛嬌を振りまきます。(そんな愛嬌いらんとか言わんで、受け取って!)

 

 

以前このことをものすごくオブラートに包んで書いたのがこちら。2年前はこのくらいまでしか自分でも言語化できなかったのだけど、根っこの気持ちは変わりません。