うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

霊石の壺の模様が変わると信じる人の話を聴いていた

わたしは小学生の頃に、霊石の壺の模様が変わると信じる人の話を家のなかで聴いていました。
その人はわたしにとっては血縁のない人でしたが、わたしは自分のおばあさんだと思っていました。
お正月に親戚の集いで会う、小さいときに自分を預かってくれた割烹着姿のお婆ちゃんと比べると、石の壺のおばあさんはいつも可愛らしいワンピースを着ていて、同じカテゴリの人ではないのだろうなと子供ながらに思っていました。

 


その壺は、統一教会の壺でした。
ワンピースのおばあさんは壺や霊の話をするとき、格別に穏やかでした。嬉しそうでもありました。傾聴というのは不思議なもので、話し手が穏やかであればいくらでも聴けるものです。

 


石の模様が変わることが本当であろうがなかろうが、小学生のわたしにはどうでもいいことでした。
とにかく、普段と比べてその話をしているときの彼女の穏やかさ、スイッチの入りかたが不思議で、「こういう話になると、楽しそうに話すなぁ〜」と思いながら聴いていました。
両親がその件にタッチしたくないこともなんとなくわかっていて、それは家庭内にあった「信仰の自由」だったのだと思います。
干渉すべきかやめておくべきかという判断において、わたしの両親はできるだけ干渉しない道を選ぶ人たちでした。なので、ワンピースのおばあさんについても同じなのだろうと思っていました。
わたしへのインプットが壺の話のレベルを超えてきたら両親も頭を抱えただろうと思いますが、良くも悪くも、わたしはそこまでその人から可愛がられない孫でした。

 

 

ワンピースのおばあさんがさみしい気持ちを抱えていることは、子供ながらに感じていました。壺の話も聴いたし、毎朝飲まされる、まるで吐瀉物のような異様にまずい野菜ジュースも飲み続けました。
さみしかったのは、その人だけではありませんでした。血縁があってもなくても、同じ家に住む者同士が信頼関係を築けなかったのは、たぶん組織開発が積極的にされていなかったから。ビジョンはなくても、共有するプライド(あるいは共通の敵、あるいは虚栄心)があれば、それなりの形を無理やりにでも保つもの。きっと、良くも悪くもプライドがなさすぎたのだと思います。
家庭って、運営にコストがかかるんですよね。経済的なコストだけでなく、精神的なコストも必要です。わたしには故郷と思う場所も実家もありませんが、家族であった個人のことは、それぞれ尊敬しています。尊敬する=従うではないから一緒にいないだけで。

 

 

ワンピースのおばあさんは、石の壺を回して見ながら、ここは人の顔だ、ほらここにもこんな姿が現れはじめたと話していました。それはまるで、夏休みにテレビの特番でやっている心霊写真の解説のようでした。
マーブル状の石の模様が顔に見えてくるように、わたしも調子を合わせて話を聴いていました。心霊番組もそうやって楽しむものでした。その頃は丹波哲郎さんが『大霊界』という映画を撮ったりしてね。しかも、2も3もあった。そういう時代でした。

 

 

テロの件とは関係なく、ふと気になって、あのワンピースのおばあさんは生きているのかと少し前に母親に聞いたら「知らない」とのことでした。そのくらいの勢いでぶった斬らないといけないときって、あるんですよね。簡単なことではなかったと思います。

 

あの日々から30年以上の月日が過ぎています。わたしは着々と、当時のワンピースのおばあさんの年齢に近づいています。いまはもう友だちでもおかしくない年齢です。
もし友だちだったら、あの人とどんな話をしただろう。

 

 

10年前に、わたしはこのブログに、こんなことを書きました。

 

 

わたしの基本的な考えかたは、子供の頃から変わっていません。

小学生の頃は自分でお金を稼ぐことがなかったから、高額な壺に現れる霊の姿の話をジャッジをせずに傾聴することができていました。

わたしは、当時の自分と比べて ”自分が” 変わったら聴けなくなった、そういう意識の変化を客観的に見られる感覚を持ちたいと持っています。

”自分が” 変わったことに意識的でいないと、これまでに自分と関わってくれた人を恨むことになるから。

わたしの両親は苦労をしたと思います。両親がわたしを守ってくれたおかげで、わたしにとってはこのことが教訓になっています。

宗教だカルトだと言う前に、自分には役割がないと感じながら生きることのさみしさについて、人はもっと意識的になるべきだと思っています。