うちこのヨガ日記

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ラヴァナ王の物語/幻の体験をした王様(ヨーガ・ヴァーシシュタ第3章にある寓話)

昨年出版された日本語版の『ヨーガ・ヴァーシシュタ』を今年も引き続き読んでいて、第3章はおもしろストーリーがてんこ盛りなので、各寓話にある要素をちょこっと紹介しています。

今回は『ラヴァナ王の物語』です。

この物語は第3章の最後にあり、物語解釈説法その後の物語解釈説法という流れになっています。そのなかには講義のような内容もあり、要素が多いので3回に分けます。

 

初回は、幻の体験をした王様を軸に紹介します。

物語はこのようにはじまります。

 聖者たちが暮らす森や、美しく繁栄した村々に恵まれたウッタラーパーンダヴァという国に、高名なハリシュチャンドラ王の子孫であるラヴァナという王がいた。彼は高尚な心を持ち、高潔で慈悲深く、国民から尊敬される王だった。

89より)

この王様はハリシュチャンドラ王の子孫のラヴァナ王で、『ラーマーヤナ』に出てくるマルヤーヴァンの孫でシーター姫を誘拐するラーヴァナではありません。

名前が似ているのでややこしいですね。

 

 

そんなラヴァナ王が催眠術にかかります。その催眠術師ってのがまたインドの物語らしい存在なのですが、そのことは次回書きます。

 

この物語のラヴァナ王の幻想体験がすさまじい。階級差社会を体験します。

皇室の人がスラム街で暮らすような体験です。そこでなんと子孫を残すのですが、そうなるに至る展開のなかにあるきっかけが・・・

 

 

 「私と結婚してくれるなら、食べ物をあげましょう」

 

 

これが王にとっての不幸のはじまりなのですが、「王にとっての」不幸です。

空腹の痛みに耐えることと尊厳のギリギリのところをえぐってくる設定で、インドの物語のメリハリの力が炸裂しています。

 

 

さらに!

ラヴァナ王は催眠状態から目覚めた翌日に、こんなことを考えます。

 「幻影の中で見た場所は、実際に存在しているかもしれない。そこを訪れてみるべきだ」

 (101より)

で、行くんですよね。出かけちゃう。

こういうところが、おもしろいんですよね・・・。

で、あるの!!! その村が!!!

という展開。

 

 

このあとのヴァシシュタ仙の説法が、忘れることや記憶の食い違いについて。こんな話をされます。

 ときおり、過去の出来事があたかもたった今起こっているかのような感覚の夢を見ることがある。ラヴァナ王は、部族と関わった過去の出来事を幻想の中で体験したのだ。また、ラヴァナ王の意識の中に現れた幻想を、ヴィンディヤ村の人たちが心の中で体験したということもあり得る。また、誰か他の人が体験したことを、ラヴァナ王と部族の人々が彼らの心の中で体験したという可能性さえあるのだ。ある宣言が多くの人によってなされると、真実として受け入れられるように、これらの幻想も多くの人に体験されると現実になる。このようなことが人生において受け入れられると、それはそれ自体の現実味を持つようになるのだ。結局、いかに自己の意識の中で体験されたかということ以外に、この世の物事に関する真実というものがあるだろうか?

102より)

AさんがBさんを洗脳するには(あるいは洗脳を解くには)、Bさんの中にAさんと同じように “現実味” が起こらないといけない。

人は信じたいものを信じるという心の機能が「それはそれ自体の現実味を持つようになる」と表現されます。

 

洗脳をするのも解くのも同等だとすると、洗脳は意識が選んだこと。

もしそれを防ぎたいのであれば、それ以前の共同幻想をいかに盤石にしておくかが大事なのだけど、それは少し前の

ある宣言が多くの人によってなされると、真実として受け入れられるように、これらの幻想も多くの人に体験されると現実になる。

という箇所で語られています。

「ある宣言が多くの人によってなされると、真実として受け入れられる」というのは、日本の人が戦争について考えながら読むと、複雑に響くところです。

 

 

この心のはたらきは『ヨーガ・ヴァーシシュタ』に繰り返し登場します。

第6章のシキドヴァジャ王と聖者クンバ(中身は妻である女王チューダーラ)の間で交わされる会話のなかに、こんなやり取りがあります。

 シキドヴァジャは尋ねた。

 もし創造者から小石にいたるすべてが非実在(実体のないもの)なら、この不幸はどうやって現れたのでしょうか?

 

 クンバは答えた。

 この世界という幻想は、繰り返し肯定されることで拡大拡張していきます。水が凍って固まりになれば、椅子にさえなるように! 無知が一掃されてはじめて真理は実現され、そのときはじめて本来の状態が姿を現します。二元性の知覚が希薄になればサンサーラの体験は止み、そのときあなたは自己本来の栄光の内に輝くのです。

(316 より)

共同幻想でも個人の幻想でも、繰り返し肯定されることで拡大拡張していく。

 

 

第3章の『ラヴァナ王の物語』では、幻や妄想や心の作り出すものについて、ラーマ王子とヴァシシュタ仙の間でいくつもの質疑応答が展開されています。

次回は『ラヴァナ王の物語』に登場する魔術師を紹介します。