うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「トシ」とか「チューネン」というフレーズは、そういう鳴き声みたいに使ってる

わたしが週末に開催しているヨガクラスはアーサナの部分がアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨーガなので、「もうトシだし…」なんて言いながら参加に悩んで、でもおいでになるという方がいらっしゃいます。アーサナの部分が、と書いたのはそれは全体の7割だから。ほかにはヨガニードラと瞑想、om recitationも行っています(英語で書きたいわけではなくて、なんか適当な日本語がありません)。
わたしにとってアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨーガは、心の硬さの影響でカクカクとロボット人間のようになっている挙動をなめらかに、人魚のような動きに変えてくれる練習。浅い呼吸がダイナミックな呼吸に変わっていく過程で心も粘り強くなる。まるで小麦粉が水と共に練られてふっくらとしたパンになる過程のような、そういう動きの連続する時間です。
このヨガをストイックだというイメージにしたい人は、ほかのスタイルのヨガに対しても同じように言える前置詞や形容詞を探すもの。気おくれはその人の中で起こることで、わたしのコントロール範囲外。なのでわたしは思いを説明せずに開催しています。

 

 

 もうトシだし…なんて思ってたのだけど、身体を動かすとやっぱり楽しい☆

 

 

そんな笑顔に出会うとき、同時に「ああ、またこのフレーズ」と思います。「mou toshi dashi」というひとつの慣用句のように刷り込まれている。
「モウトシ」のフレーズはわたしも日常で便宜的に使いますが、それは「いつまでも若いと思っている人間ではありませんので、ちょっとした材料を見つけて攻撃してくるのはやめてくださいね」というセキュリティ対策として、いちおう言っとけくらいの感じです。
それは、

 

  • ゴン太くんの「ンゴゴ」
  • アラレちゃんの「ほよよ」
  • 三枝師匠の「およよ」
  • 谷啓の「ガチョーン
  • 朱美ちゃん二号の「んダメよ~、んダメダメ」

 


くらい、「そう言っておく」やつです。

 

 

 mou toshi dashi

 

 oni oshi dashi

 

 iriko dashi

 


なんか「だし」って韻とかリズムでつい言っちゃってるだけじゃないですか?
マントラには吉祥を望むものもあれば、呪うものもあります。(って、先生は言ってた…)なので、その韻には気をつけて!

 

長年ヨガに関わることでワクワクする気持ちを忘れてしまった人を、わたしはこれまでに何人か見てきました。練習から離れたところで「ヨガ的な人ということにしておきたい」という気持ちを捨てられないでいる人は苦しそう。なのでわたしが開催するクラスは、経緯はさておきせっかく来たのだから、楽しみましょう! ロボコップでもいいから! というスタンス。
過去の遺産やありものだけで勝負していこうとすると、自分自身に飽きちゃうんですよね…。わたしの主人はわたしだけだから、主人に見放されると困る。わたし自身がそんなふうに考えているので、実際のところ日常でも「もうトシ」とか「チュウネン」は数字の言い換えみたいに便宜上言ってるだけです。これは日本の社会生活上の、ただの護身術マントラ。「年甲斐もなく」と心の中で言う人に対応するための「魔除けのマントラ」です。「夜明けのスキャット」の逆です。
心根の輝きは、秘めておくのです。ル~ル~ルルゥル~