生命力を仕事で燃やした女性文筆家を「女流」というタイトルでまとめ、その呼称に差別語的な意味合いがあった時代が振り返られていました。
今よりも女性の作家が少ない時代に「過剰に元気な人」「過剰に自己主張する人」≒「こわい人」という時代の作ったテンプレに乗せられ、評された二人。
この世を早く去って行かざるを得なかったのは、女性の才能を「過剰さ」として消費する社会の中で仕事をすることの、時代から受けるカルマもあったよな・・・、わたしはずっとそんなふうに思っていたので、興味深く読みました。
わたしが読んで印象に残ったのは、以下の3つのことでした。
1:それぞれの体力と覚醒剤・薬のこと
林芙美子のパートでは、作家が覚せい剤や薬物に頼る時代でなければ、もっと作品を読めたであろうに・・という視点で書かれているように見えました。
同時代に近い理由で亡くなった人たちの名前も登場します。
こんなふうに書かれていました。
「晩菊」のきんが口にふくんだヒロポン(覚醒剤)は当時、疲労回復名目の合法薬品として広く流行した。注射と錠剤があり、錠剤は効果は薄いが依存性が低いとされて文学関係者のほぼ全員が一時常用した。
きんは注射と錠剤、両方を使っている。四七年から多忙をきわめた林芙美子自身もそうだっただろう。しかし錠剤であっても心臓を痛める。健康には自信があった林芙美子だが、四八年頃からは心臓に異常を訴えるようになり、五○年暮れの忘年会の折りには、手摺につかまりながら一段ずつ階段をのぼる芙美子の姿を平林たい子が目撃している。
この章では太宰治、坂口安吾、織田作之助らと関連付けて語られています。
身長143センチで放浪しながら生きた体力モンスターと、当時にしては長身といえる165センチで心臓が強くなかったお嬢様。
女の雑草魂でなんでもやって恋愛もしまくったギャルと、銀行員の家庭に生まれ外国の価値観を知っている帰国子女。
二人の境遇は全く違うのだけど、どちらも時代の波に乗って、仕事に執着して頑張った。
薬で保ちながら命を削るように書いていたところがよく似ています。
2:それぞれの海外経験の話
子供の頃から海外経験のあった有吉佐和子の評伝は、取材で出かけた中国での小澤征爾氏との交流エピソードからはじまります。
中盤からは『女二人のニューギニア』というエッセイからの引用が多く、NY時代の経験が反映された『非色』に感動したわたしはもちろんこの本も購入済み。これから読むのが楽しみになりました。
有吉佐和子の堅実な経験とは比較にならないくらい、チャラい洋行を経験した林芙美子の話は興味深く、1932年のパリの様子はこのように紹介されていました。
当時のパリはブラックボックスのようであった。得体の知れない、または目的のない日本人がわだかまっていた。なぜパリがそんな役割をになったかは研究に値するが、林芙美子は金子光晴、森三千代とはパリで会わず、山本夏彦の存在は知らなかった。
三二年一月六日、林芙美子は森本六爾と田島隆純を自分の部屋に招いて食事を供した。
(林芙美子の旅/恋は月に一回 より)
このあと林芙美子は翌朝再びやって来た森本六爾に好きだと言い寄られるのだけど「へえ! こんなやぶれた女がね」と自虐しながら迷惑がり、仕事の邪魔と感じてイライラし、「女のくさったみたいだ」と書き残しています。
下世話さとおもしろさが安定しています。
3:「中年期」はむずかしい
有吉佐和子は24歳にして古典芸能の世界を見事に書き、40歳の時点で『華岡青洲の妻』を書き、ずば抜けた能力で売れに売れていながら受賞評価が少ない。
男性社会の文壇から嫉妬を受けていた人のその後を伝える『「中年期」はむずかしい』というタイトルの章がありました。
著者が有吉佐和子を知ったのは中学生の頃で、最初は1962年に見た芸能ニュース(結婚報道)、次の記憶は1982年頃だったそう。
こんなことが書かれていました。
たまたまテレビで有吉佐和子が芝居の稽古をつけているシーンを見た。『乱舞』か『香華』だろう、自作の舞台の演出を担当していた。
(中略)
「生意気でかわいい才女」が「わがままで短気な巨匠」になりかわっている。この変化はいつ頃生じたか。中年期と劇的になじまない女性、年をとることに激しく抵抗する作家、そんなイメージが私の有吉佐和子への興味への出発点となった。
(有吉佐和子的人生/「中年期」はむずかしい より)
この話を読んで、わたしにとって上原謙という俳優がそれに近い知り方だったことを思い出しました。
ゴシップで人を知るのってよくないな、と思うけれど、後でその人の魅力を知った際に、かつての自分の人間を見る目の軽薄さを思い知ることになる。
そういう、加齢と並行した学びってあります。「ごめんなさい」と言いたくなるような。
* * *
二人とも売れっ子だったので交友関係が幅広く、どこを抜き出すかだけでも材料が多かっただろうな、と思う内容です。
若い頃から類まれな筆力で、中年期に「こわい人」扱いをされ、「かわいいキャラ」で処世をしなかった。そんな二人を並べた本があったなんて。
林芙美子は文壇の師を持たず、戦前の庶民相手にいきなり売れています。
今で言ったら大手事務所に所属するタレントよりもYoutubeで稼ぐ有名人が登場したのに近く、そこに圧倒的な上手さと欲の力、ネタには事欠かない苦労が見えます。
わたしは主要な作品をだいたい読んでいるので親しみの感情があり、そこあるどんなひどいエピソードも「さすがフーミン」「強欲だな」と笑って読めます。
一方で、有吉佐和子のパートには、笑いたくても笑えない苦しみがありました。
わたしはこの作家の小説を読んで「強欲だな」と思ったことがないし、逆に「ものすごい抑制力だな」と毎回圧倒されています。
* * *
この本を読んだきっかけは作家・有吉佐和子への関心がきっかけでした。
高峰秀子さんのエッセイに登場していた有吉さんが、とてもチャーミングだったから。
わたしはいま、主要な作品を(有吉さんが亡くなった)53歳までに読みたいと思っていて、勝手に感謝の気持ちを持っています。
*1:享年47歳というのは死後に判明した出生届からのカウントで、自称の生年では46歳、日記の内容と出生届を照らし合わせると48歳になると書かれていました