うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

こどもを観察していると、いろいろな発見がある


春ですね。公園に人がたくさんいます。研究シーズンの到来です。
ヨガニードラの科学を学んで以降、ここ2年くらい、わたしは「こども観察」を定常的に行なっています。公園や乗り物の中で読書をしながら、観察するのです。



「こどもは天使」といえばそうですが、「大人よりも抑制の効かない動物」でもあります。先日も、木の下でアリに向かって「死ねぇ〜」といいながら棒をグサグサ刺している、とてもかわいい男の子を見ました。

わたしは、「こどもの語彙」が気になります。
どのくらいの子が何歳かというのはわからないのですが、こどもが発する懇願フレーズをいったんあたまのなかでテキストにしてみると、おもしろい。



<たとえば、こんな場面>
三人のこどもが走り回っている。前に二人走っているのを、ひとりの男の子が追いかけている。



 「こうきくんと、あみちゃん。まってぇぇぇー」



なにも省略しないのです。
文章全体に対する、前半の忠実さと非効率さ。これこそが、こども!
とても、ていねいなのです。


このていねいさを、大人の気持ちひとつで「天使」にしたりそうでない扱いにしたりすることを、親はガマンしないといけないんですね。実際、こどものほうが、よっぽどリアライゼーションができている。
あまりに早く、効率的にものを考えて発することができるようになってしまうことは、考えものであるなぁと思います。ていねいな仕事をする職人に育つ可能性は、「おりこうさん」でないこどものほうが、素質がありそう。



アリに向かって「死ねぇ〜」といいながら棒をグサグサ刺すのが、人間です。これと同じ「意識の種」をどう扱うか。
日本は宗教や信仰が日常にない人がマジョリティの国なので、「意識の種」について学ぶ機会がないまま生きてきた人が子育てをし、「ていねい」なこどもを天使として扱ったり発育遅れと評価したりする。まず学ぶべきは、親。だけど、余裕がないよね。気持ちに。それもよくわかる。
なので、「聖典のある生活をする人って、どんな感じなんだろう?」と考えてみることだけでも、まずはしてみるとよいと思います。