関西にいる間、細切れの時間にひとつひとつ楽しみに読みました。たくさんの人に会うと、たくさんの価値観に触れる。そういうときに森博嗣さんの本を携えていると、こころの柔軟性が補強されます。柔軟が補強ってなんかヘンですが、そういう本です。
「つぶやきのクリーム」「つぼやきのテリーヌ」に続いての3作目。痛快さも鋭さもいつもどおり。濃すぎず、くだけすぎず、安定してる。
それなのに今回はあとがきの人のボヤきが濃すぎて、くだけすぎてておもしろい。今度その人物の本も読んでみようと思った。
この6つがすき。特に「11」と「60」と「92」。
- 11:「よす」という動詞は、命令形以外は聞かなくなった。
- 25:たまに整頓をすると、捨てたもんじゃない、と思う。
- 38:がっかりしたくなかったら、悲観することである。
- 46:優しい人は優しい振りができない。
- 60:反応することは、自分から発している行為ではない。
- 92:偉大な神ほど、人間を戦わせる。
11を読んで、今後は「やめとく」ではなく「よしておきます」と自然に出るような身体言語感でいきたいと思いました。60は、いつも感じていること。92は、バガヴァッド・ギーターと聖書を行ったり来たりしているとグイグイきます。
今回はひとつ、ここでクスッときた。
今だと八十とか九十くらいの老人になっているけれど、なんとなくキリシタンみたいな本名の人がいる。
(87:キラキラネームも、大勢いるときらきらしない。 より)
本屋で「33年後のなんとなく、クリスタル」がチラチラしまくっていたから。たまたまだろうけど。
ここはグッときた。
言葉を発することは大事だが、その言葉によって現実が影響を受けなければ意味がない。
(39:綺麗事が何故綺麗なのかといえば、それは言葉だからだ。 より)
ヨガニードラのサンカルパの説明みたいだと思った。
このシリーズはひょい、と開きたくなる。また何度も読むと思う。
今回のは、読むごとにエレガントに、グレイスフルになれそうな内容が多かったです。
▼紙の本
▼Kindle版