うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヨガニードラの、ボディスキャンは脳スキャン


「最後の最後の、あのときに意識を失うのが、くやしいいいんんんですううぅぅぅぅ〜」
と、同じ人がここ一年ぐらいたまにわたしにおっしゃるのですが、最後の最後だから油断していると思ったりはしませんし、Lazy と Relaxation は別もの。
ヨガニードラでは最後に戻ってくるときに、少しずつ脳とのコンタクトをはじめています。なので、もうちょっと脳みそと距離をおいていたい! と魂が叫ぶこともございましょう。ヨガニードラの、ボディスキャンは脳スキャンでもあります。
英語では「homunculus brain」という言葉で知られているようです。

▼以下はwikiのリンクです

脳の中に身体の各部を受けもつ場所があり、ヨガニードラでのアプローチでは、この地図の中を歩いています。
わたしが銀座でヨガニードラをするとき、初めてのかたへ「身体の中を、ロウソクをもって洞窟のなかをゆっくり歩くように」と説明したりすることがあるのは、そのような理由からです。
なので冒頭の「あのときに意識を失うのが、くやしいいいんんんですううぅぅぅぅ〜」というようなことは、それぞれの人に起こっています。わたしはヨガニードラのガイドを銀座では200回以上、同じ環境でやってきました。観測経験として「この人はだいたいここでおちる」「この人はだいたいここで戻る」という傾向を認識している人もいます。だからといって、何がわかるというわけではありません。
人それぞれ、自然にそこに峠があるような感じです。右から左へ移るときにおちる人はかなり多いです。なのでわたしは必ず、ひと指ひと指、右・左の単語を添えてガイドをしています。



これは手芸をする人にしかわからないたとえですが、ヨガニードラ中の感覚はブランケット・ステッチではしっこを縫っているときの感じと似ています。布の縫い合わせ方にはいくつもやりかたがあるのですが、一瞬ほかのことに意識をとられると「あれ、いまここ、くぐらせたっけ? いまこの瞬間、いままさになんだっけ」となる。黙々とブランケット・ステッチで針を進めていくときの、あの感じに似ていると感じます。
ヨガニードラ中はそのくらい「いま、ここ」をやさしく連続でやっている。



瞑想についてなるべく説明をしないようにしています。峠を越えようという考えを持つと「いま、ここ」ではなく「あそこを越える」になってしまうから。できるだけ自然の機能に、自然な身体のはたきにそ〜っと便乗する形で意識を整えていく。ヨガニードラは、そういうことをするための瞑想の練習の時間。
ものすごく神経を使った週には、そしてそうでないときにも、派手におちてしまうこともあるでしょう。そういう人は、たくさん、たーーーーーくさーーーーーん、いらっしゃいます。気持ちよさそうでうらやましいくらいです。


が、基本的には意識のトーンが整うことをめざしています。外側のマッスルトーン(筋肉のトーン)を整えることから始まり、進んでいきます。トーンが整うということは、粗大と微細の意識の粒度を認識できるようになること。行動の唐突さや失言などの凸凹を減らし、社会の中で信用を獲得していく人格形成に役立つことを願っています。わたし自身がもともとすごく雑だったと感じているので、自分が整いたいという思いの投影でもあります。
日本は空気を読む社会といわれますが、移り変わる常識とは別に、行動の唐突さや失言などの凸凹はドーシャの乱れ・トーンの不均衡とも関係している。年齢を重ねるごとに、そう感じることが増えています。なので「整う」という経験記憶のために、わたしは自分で構成しているここ数年のヨガクラスに、10年前には興味すらなかったヨガニードラを取り入れています。