読んでいると自分の中のワクワク成分が踊り出すような、とても元気の出る本でした。
ウェブの仕事でもヨガのクラスでも、結局は自分の中の蓄積がアウトプットされるので、その直前には多少なりともクリエイティブななにかが働く。これまでいろいろな仕事仲間と関わってきたけれど、素敵な仕事をする人たちにはこの本に書かれているような素養があるし、多作な人に共通する何かもこの本の中にあった。いくつか、紹介します。
論理的思考の基になるものが、自分の中にある知識や体験などの集積だ。何を学び、何を体験して自分の血肉としてきたかが、論理性の根本にある。完成の九五パーセントくらいは、実はこれなのではないだろうか。
(「完成の肝」より)
ひとつの刺激的な経験よりも、ゆるやかに積んできた感動の印象のつぶつぶのようなものが血肉になる。これはほんとうにそうであると思う。
(映画音楽と記憶の引き出され方の考察をしていく流れで)
視覚情報というのは目から入ってきたものを像に結んで前頭葉を経由して脳に送り込むのに対して、音楽は耳から入り海馬を通ってダイレクトに脳に運ばれることとも、おそらく関係しているのではないかと思う。このあたりは僕も非常に興味を持っていて、突き詰めてみたいと思っていることの一つだ。
(「音楽は記憶のスイッチ」より)
このほか養老孟司さんとの話もあって、とにかくおもしろい。
ひとつひとつのフレーズが短いので、付箋(Kindleなので、ハイライト)だらけになった。
よりぬき金言。
- 創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う。
- つねに創造性と需要の狭間で揺れながら、どれだけクリエイティブなものができるかに心を砕く。
- 優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のことである。
- 何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういことだ。
- 一定のペースで仕事に集中しやすい環境づくりをし、自分の態勢を整えてやっていると、気分のムラなどはほとんど関係なくなっていく。
- 潜在的にはつねにそのことを考えているような状態の中で、ぽっとアイディアが浮かんでくる。
- 正確な演奏よりももっとずっと深いものを感じさせることができる。それがライブ感覚の醍醐味だ。
- フィジカルな経験があると、イメージにも深みが増す。
- 苦労自慢をする人には、自分を冷静に見つめる第三の脳、客観視能力がない。ひいては、知性が感じられない。
- 僕が向き合うべきは、監督その人ではなく、つねに作品である。
- 人としてのつながりが基本なのではない。いいものをつくるという "作品への姿勢" がつながりとなる。
- 言葉の綾にごまかされて、なんとなく安心してしまって、よりよいところを目指すことをやめてはいけないと思う。
音楽も蓄積から生まれてくるものが多いようで、とにかく意識への記憶の刻み方・引き出し方を大切にしながら、「継続」のための環境づくりに配慮されている。トレーニングもしながらちゃんとコースも考えて、実際に走る。走りながら感じることのリアライゼーションも怠らない。
日本の伝統音楽の残り方と世界の音楽の文化のありかたについては、もはやこの題材一つで教育論の講義にできるよ、というほどの内容。音楽とヨガをやっている人や制作のお仕事をしている人は、きっとのめりこんで読めるはず。
▼Kindle版