うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

シャンバラからの伝言 魂の修行と宇宙の真理 成瀬雅春 著

最近よく行くカフェに置いてあり、迷わず読みました。2008年の本です。
宇宙意識ルルイさんの伝言を伝える内容なのですが、2008年よりも、いま読んだほうが刺さる。「シャンバラ」については予備知識がなくホヨヨと思っていたのだけど、スパッと説明してくれています。

<176ページ 大気の大切さ より>
順番が逆だというのを盛んにルルイ意識は言っているんです。なにしろ世界の人類が平和に、というのを最初に持ち出してはだめだ。それはいちばん最後。だから大気がよい状態であって、地球自体、つまり土壌がいい状態であって、植物がいい状態で、動物がいい状態で、そのうえで人間がいい状態にならなければならない。

この本の本題。シャンバラからのメッセージとヨーガで感覚を鋭くすることについて語られています。


<192ページ 公開チャネリングの質疑応答の回答より>
私が今日言った部分というのは、人間とのかかわりのあるシャンバラではない部分でのシャンバラを言っているんです。たとえばよくいわれているシャンバラというのは、仏教シャンバラというのがありまして、それは最終的な目標を何にとっているかというと、回教をつぶすことにあるんです。非常に俗的なんです。
人間とかかわりのあるシャンバラというのは、最終的にそういう人間のいろんな欲望とかかわってきているんです。
そういうふうに人間とのかかわりのある意味でのシャンバラっていうのは、宗教上の仏教とか回教だけじゃなくて、人間ということで考えても人間がいちばんよい状態になる、繁栄してなにしろ快適な状態になるのが理想的なことだ、ということに帰ってしまうんですね。
ところが私がコンタクトを取っている、シャンバラの本質的な部分っていうのはそうじゃなくて、人間が最高に幸せになればいいっていうのではないよ、ということを言っているんです。地球というのが今こういう状態である場合に、人間が地球のバランスを崩そうとしているんだよ。それをもうちょっと考えろ、ということをコンタクトしてきている。それはさっき言った、大気をなんとかしなさい、ということがそれなんですけどね。

前半の俗的シャンバラの説明がド直球でわかりやすい。全般、真っ正直な口語調です。


<37ページ シャンバラは理想郷ではない より>
コントロールしている側を、コントロールされている側が評価するというのは無理な話で、まさにコントロールされるしかないのである。いいように踊らされるしかないのだ。とはいっても、人間一人ひとりに魂があり、自由意志がある限り、その人の生きざまは本人に委ねられているので、「コントロールされているから、自分の生き方たはどうでもいい」というわけではない。
シャンバラというのは、われわれが今生活している中で判断すること自体が無理な存在なのだから、評価はしないほうがいいだろう。

わたしはシャンバラというのに関心がなかったけれど、このコントロールの話はなにごとにおいてもそうなので、そういうことを文章化する丁寧さが印象に残った。


<75ページ 触覚は触れることではない より>
触れるということは、自分の身体の外に対してだけでなく、自分の体内でも生じている。たとえばヨーガ行者が内臓を自由に操ることができるように訓練していくのも、そうした能力の拡大である。手だけが自由に動くというのは不満だ。ついでに胃も動かしたい、腸も動かしたい、心臓も適当に動かしたり止めたりしよう、などというのは、肉体面での能力の拡大である。
感覚の可能性というのは、枠さえつくらなければ、いくらでも拡がる。枠をつくるから拡がらない。

わたしもまだマインド・ブロックが原因でできないことがたくさんあるけれど、その枠が自分にあるということを大人になっても感じ続けられるのが、ヨーガの醍醐味であるなと思います。


<151ページ 目指すべきもの より>
話を密教に戻そう。インドやチベット、ヒマラヤなどで修行をしているしっかりとした密教の行者たちは、決して教団を組織したり、関心もない人に対して教義を布教したりしない。それは、彼らは行とはあくまで個人でおこなうべきものであることを知りぬいているからである。


(中略)


われわれは、自分で考え、自分で行動し、試行錯誤し、自分で道を見出さない限り、階段を上がることはできいないのである。誰も手を引いてひっぱり上げてはくれない。
それではグル(師)のチェラ(弟子)を導くための役割とは、何なのだろうか。それは、「そっちへ行けばいいんだよ」と正解を教えることではなく、「ほら、そこにも道があるよ、あそこにも藪でおおわれていて見にくいけれど、道はあるんだよ」とヒントを与えることであり、道をさらに進んでいくための刺激を与えることである。最初からゴールも道筋もわかっているのでは、人生のゲームは面白くない。道を選ぶのは弟子がするべきことである。

あたりまえのことなんだけど、何度も言って欲しい、何度も聞きたくなることば。



以下は、素敵な発言のしかただな、と思った箇所。

<206ページ 空中浮遊についての質疑応答への回答より>
写真を見たときに「えっ、こんなことあるの変だな」と思ったら、その気持ちは大切にしたほうがよいです。自分の中から「いやこれ本当にそうなんだ」っていうものが生まれてくるまでは、疑ったままでいたほうがいいです。僕が「いや本当ですよ」ってたとえば強引に言ったときに、それで納得させられるのはよくない。自分の心の内部には、そうじゃないと思っている部分がありつつ、いわゆる折伏に近い、あの手この手で言い含められるのは絶対によくないです。

潜在意識の底からなんかわかる感覚が湧いてこない限り、いずれにしてもサンスカーラ(印象の業)がねじれるだけなので、僕のことは別にどう思ってくれてもいいっスよ。と、相手の意識の状態を気遣うスタンスが素敵。


<160ページ 公開チャネリングはじまる より>
私自身は、この(空中浮遊)の写真にもあるように、ヨーガの修行をやっていて、まあ修行という言葉が、一般的には通りやすいので修行というんですけれども。要は自分を知るということです。

要は〜、のあと、もすこし粘ってほかの言葉でもききたかった(笑)けど、英語だとよく discipline という言葉が使われる。自分で自分を知り、しつけていく、というニュアンス。ヨーガ的には自然の働きに追従していく、というもうひとつの意味もある。「修行」だけだと、なんだか「ひとり漫才をしながら自分を知る」という雰囲気が出てこないんですよね。むずかしいところだ。



この本は、「いやもうほんとに日本人のマテリアル信仰はやばいと思うんだよ」と悶々とする夜におすすめです。



開いてみたらサイン本で、日付が震災直後なのでした。

シャンバラからの伝言―魂の修行と宇宙の真理
成瀬 雅春
中央アート出版社
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