うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ガンダムとスター・ウォーズはバガヴァッド・ギーターの第2章


「うちこがアニメや映画の話をしだすと、ついていけない」と、身近な女性たちに不人気なので書く機会がなんとなく減ってきていた、コレ系の話。
今日は「どんなに真面目に勉強していても、これを読んでいてアレやコレを想起しないでおれるか!」 というだけの軽いお話です。
以下、バガヴァッド・ギーター(上村勝彦 訳)第二章より。(カッコ内)は節番号。

  • 常住で滅びることなく、計り難い主体(個我)に属する身体は、有限であると言われる。それ故、戦え。アルジュナ。(18)
  • 人が古い衣服を捨て、新しい衣服を着るように、主体は古い身体を捨て、他の新しい身体に行く。(22)
  • 彼は顕現せず(認識されず)、不可思議で、不変異であると説かれる。それ故、彼をこのように知って、あなたは嘆くべきではない。(25)
  • ある人は稀有に彼を見る。他の者は稀有に彼のことを語る。また他の者は稀有に彼について聞く。聞いても、誰も彼のことを知らない。(29)
  • 更にまた、あなたは自己の義務(ダルマ)を考慮しても、戦慄(おのの)くべきではない。というのは、クシャトリヤ(王族、士族)にとって、義務に基づく戦いに勝るものは他にないから。(31)

32句では「アルジュナ、立ち上れ。」ときます。18〜32句までが濃い。
36章に限っては、スター・ウォーズのエピソード3が特にしっくりきます。

またあなたの敵は、語るべきでない多くのことを語るであろう。あなたの能力を難じながら。これほどつらいことがあろうか。(36)

ね。



この要領で書こうと思えばいくらでもいけてしまうのが2章の恐ろしいところなのですが、映画やアニメでない現実世界でいうと、この章を思想と行動の最大の拠り所としていた人が、ガンジーです。
断食について書かれている節を、ガンジー本人が2章から抜き出して紹介しています。こんな訳文がありました。

感覚を断っている人には、外面上は、感覚の対象は消え失せよう。しかし内面には、それに対するあこがれを残しているのである。しかし、彼が至高と相まみえたときは、あこがれさえ消えうせてしまうのである。
<「ガンジー自伝(中公文庫)」より>

断食以外にも、B.G.2章はあらゆる面でガンジーの戦いの心の支えになっていたのだろうと思う節ばかり。




だからなんだって話かというと、インド哲学は「自分の言葉で語れなければ、脳のデータ容量を食うだけのもの」という学問なので、学ぶ気持ちの火を絶やさぬ油(アニメや映画)の存在が実にありがたいなぁと。そんだけ。
日本人でよかったわん。


▼関連本