飛び石になった休みをくっつけて、しばらく群馬県と新潟県に居ました。
新潟に住んでいる親と群馬で合流して山を散策して、一緒に新潟へ向かいました。
久しぶりに新幹線に乗ったら、到着1分前の降車デッキで60代くらいのおばさまと一緒になり、楽しいおしゃべりをしました。
そのおばさまのスニーカーがグッドデザインだったので、わたしの母がそれを褒めたら、そのおばさまがわたしの母の服を褒めて、お互いの服装の褒め合いになりました。
おばさまはキラキラと少し華やかなアイテムを身につけていて、母はベトナムの山奥のマーケットで買ってきた服を着て、アジアの山姥らしい服装をしています。
わたしも、いかにもアウトドアな Keen の靴を履いて、Columbia のリュックサックです。
おばさまは、「実は今日わたし、宝塚へ行ってきたの」とのこと。
「どうりで! すてき♡」「演目は?」「宝塚って、日比谷のあそこですよね」なんてちょっとだけ話した最後に、「今日は本当に楽しかったの。いつもは介護、介護で」とおばさまが小さく呟きました。
「そっかー。たまにはパーっといかなくちゃ。すてきですよ」
「ほんと、わたし今日は楽しかったの。お二人はどちらへ?」
「群馬の山へ行ってきました」
「あらそう。それもいいわねぇ!」
なんて会話を交わして別れました。
おばさまは観た宝塚の演目をほとんど覚えておらず、とにかく全身から「今日、すごく楽しかったの!」と、発散のオーラが溢れていました。
まったく推し活風情もなく、とにかくわたしは今日おしゃれをして、この町を飛び出してきたの! と、小さな冒険の光をまとっていました。
このとき、おばさまがサッと鼻をかむように吐き出された日常は、ハレの日のまえに、ケの日があった。その半面です。
反面ではなく、半面。
愚痴はよくないというけれど、わたしは愚痴には二種類あると思っていて、この日のおばさまのような半面を吐き出す愚痴は、他人に知ってもらえるだけで気持ちがスッとするものです。
よくない愚痴は、「反面の物語」を強化するために他人を巻き込むもので、お決まりのお馴染みの起承転結へ向けて繰り返し語られるもの。
陰謀論が流行ってしまうのは、自分の「反面の物語」を、みんなの「反面の物語」にしたいからで、それを減らすのに役立つのは、個人の半面の物語を他人に知ってもらうことなんじゃないか。
ここ数年、愚痴について考えることがありました。
それは、いろんな人生の局面で聞く身近な人の愚痴をまったく悪いと思わなかったことが何度もあったことがきっかけです。
この日たまたま出会ったおばさまもそうでした。

山に咲いていたトリカブトです。