これで最終講。「行」「超能力」「解脱の条件」を題材にお話をされています。
「超能力」のところでは出口王仁三郎さんの事例などが出てきて、時代だわ〜という感じがします。
ヨーガはヨーガ・スートラ内のトンデモ・パート(第3章16節以降)の存在によって、のちのちいろいろな面倒なことを産んだとわたしは思っているのですが、佐保田先生はこのようにお話されています。
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しかしそんな邪魔になるようなものならば、なぜこんなものを『ヨーガ・スートラ』でずーっと長い間かかって、何節にもわたってご丁寧に説明しておるのかと、こういうことが一つの疑問になるわけなんです。それは私の考えでは、これだけの能力が出るくらい修行をしなければ、とても解脱にいくことはできいないと。この内の一つもできんような者が、俺は悟って仏になったとか神様になったとか言うても、そんなものはうそっぱちだと、そんなちょろくさいもんじゃないと、こういうことを『ヨーガ・スートラ』の作者が言いたいために、こんなにたくさんの超自然力を紹介しているんだと、こういうふうに私は考えたいんですね。
ここで、パタンジャリとは言わず「作者が」と言っているのは、年代的にここはパタンジャリじゃないからでしょう。(推測)。わたしは3章4章のトンデモ系コンテンツを、ブッダが「人じゃなくて法をよりどころとしてね」と言ったのに仏像だらけナウな状態と似たものかと思っています。足の裏にこんなのがあったらしいよー、髪型こんならしいよー、と。
さて。この講は「超能力」の章のサブタイトルが「禅宗では魔境といっています」といきなり口語調。あんまり深く話されてはいません。が、佐保田先生は他の場所でけっこうおもしろいことを話していらっしゃいます。
本ではなく、雑誌なんですけどね。「季刊 恒河」第三号 1984年
連載小説は「仏陀」瀬戸内寂聴 連載に「ひろさちやの恒河インタビュー」
対談:平田精耕 VS. 佐保田鶴治 司会:山折哲雄
ってね、夢のカードに司会が山折哲雄先生(先日紹介した「性愛のインド」著者)。
馬場 V.S. 猪木を実況古館さんで観るような豪華さだわー。
当時はいろいろフリーダムですから、
佐保田:私は魔境というものは知りませんが、中にはすばらしい光が見えたとかいっている人もいます。そんなもの得意になったらいかんぞ、といっているんですが。
ただ、魔境とはこんなものかなあと思ったのは、LSDを飲んだときの経験ですね。ある心理学者にすすめられて、ヨーガを理解するのに役立つだろうと思って……。
平田:私もしきりにすすめられたが、飲まなかった。八時間くらい酩酊状態がつづくそうですね。
佐保田:ええ、あれを飲んで感じましたのは、意識の世界に現われてくるのを制限する働きを持つ統覚器官、これが薬の作用で弱まるのですが、そのため潜在意識の中にあるものが出てくるんだと思うのです。(中略)そのあと、法律で禁止になりまして……。
時代だー(笑)。
こういうお話が好きな人には「インドへ」(横尾忠則 著)をおすすめします。
そんなこんなで、「聞き書き抄 解説ヨーガ・スートラ」の最後はゆるゆるっと終わっていました。昔はいろいろな談義が大げさではなくされていて、いい感じ。今やシッディ・ビジネスもずいぶんメジャーになって、このブログの Google キーワード広告にも「遠隔ヒーリング」なんていっぱい出てるだろうしね。
時代は変わるよねー。
(この本は京都にある日本ヨーガ禅道院で購入できます)
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