うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

バラモン教典 原始仏典(サーンキャ・カーリカー、ヨーガ・スートラほか)


世界の名著 (1) という中央公論社のシリーズ書籍。わたしは知人のヨガ講師の方からいただいたのですが(感謝)、中古で手に入れることができます。
冒頭に「インド思想の潮流」の解説と、以下の訳が収められています。


バラモン教

  • ウパニシャッド(有名なものをよりぬきで)
  • バガヴァッド・ギーター
  • 古典サーンキヤ体系概説(=イーシュワラクリシュナのサーンキャ頌)
  • ヨーガ根本聖典(=パタンジャリのヨーガ・スートラ)
  • 不二一元論(=シャンカラのブラフマ・スートラ)
  • 最高神とその様態(=ラーマヌージャのベーダールタ・サングラハ)
  • バーガヴァタ・プラーナ(「プラーナ文献」とよくいわれるもの)
  • 論証学入門(=ニヤーヤ・スートラ/ヴァーツャーヤーナ注釈)
  • ジャイナ教綱要(=アールハタ・ダルシャナ)


■原始仏典-短篇の教典・中篇の教典

  • 出家の功徳(沙門果経)
  • ミリンダ王の問い

サーンキャ・カーリカーはこのほか【インドの「二元論哲学」を読む―イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』】(宮元啓一 著)というのがあり、この本ものちに紹介しますが、いま紹介しているこの本「バラモン教典」には服部正明氏の訳が収録されています。
わたしはSwami Niranjanananda Saraswatiさんの英語版から私訳をつくり、日本語訳2冊を答え合わせのように読んでいく形をとっています。




この本収録のニヤーヤ派の「論証学入門」では「サーンキャ・カーリカー」や「ヨーガ・スートラ」に出てくる単語の定義の分解が参照できます。空海さんの書の独特のインドっぽさのようなものも、「論証学入門」を読むと「ああ、漢訳仏教の中でも心理科学っぽい教えのモトネタは、こういう雰囲気の学問なのか」というのが感じやすいです。
この本のヨーガ・スートラは松尾義海氏の訳なのですが、これがなかなかドライでよいです。仕様書のようでありながら、主語述語の置き位置がわかりやすく感じるのと、カッコ内の文中補足がわたしにはとてもわかりやすいです。プルシャには佐保田先生同様「真我」という字をあてています。
淡々と書かれているのですが、淡々としていることによって、以下のような紐付けが自分の中で起こりやすくなります。

  • ヨーガ・スートラ2-5のモトネタはサーンキャ・カーリカーの47
  • ヨーガ・スートラ2-18はプルシャとマナスの解釈がバガヴァッド・ギーターを下敷きにしたニュアンスになっている


この松尾先生の訳がvasanaを「潜在余力」と訳しているのがとてもヨーガ的というか、深い。
参考)ほかのかたの例

  • 潜在記憶(スワミ・サッチダーナンダ 著/伊藤久子訳)
  • 残存印象(佐保田鶴治
  • 薫習または習気(仏教でのvasana訳)


松尾先生の訳を読むことで、中村天風→沖正弘 両師の教えにある余剰エネルギーはsamskaraよりも一段階深くかつ具体的に、vasanaにあたるものを指していたのではないかと感じます。
このように、松尾先生の訳には、ヨーガが「プラクティカルに潜在印象(サンスカーラ)を燃やして浄化していく行い × その輪廻である」という土台と、心理科学的な面ではサーンキャを下敷きにしている前提が訳全体にしっかりと漂っています。この、漂うというのが、なんというか、萌えます(笑)。
読み物というよりは参考書ですが、ひとつの言葉の定義にもさまざまな背景があることを追及したい人におすすめです。



わたしは、松尾先生はプルシャの訳の候補に「真我」以外のどんな語をリストアップしていただろうかとか、そういうことを悶々と想像しながら読みました。この本に収録されている「古典サーンキヤ体系概説」の中でのプルシャは「精神原理」プラクリティは「原質 or 物質原理」となっています。
漢訳の「金七十論」ではおそらく「自性」がプラクリティで、プルシャは「我」と思われます。これは、国会図書館のサイトで読むことができます。漢語の読めるヨギさんに聞かないと、どの漢字がサンスクリット語のどれをさしているかわからないのだけど……。



ここ一年、哲学の研究に時間を多くあててみましたが、アーサナ同様に哲学も、とにかく読みまくってハラオチさせて自分の中で湧き出る言葉を探していく、そういう数をこなすプロセスのようなものが重要みたいです。