うちこのヨガ日記

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聞き書き抄 解説ヨーガ・スートラ 第八講(日本ヨーガ禅道友会)


第七講まではサマーディとサマーパッティの話でしたが、ここからサーンキヤの背景を踏まえた心理学の部分に入っていきます。佐保田先生はサーンキヤを「すうろん(数論)」と口語で話されていたようです。とても家庭的な喩えが特徴で、プルシャとプラクリティの説明も読んでいるとほっこりします。
ラクリティの説明からインドの文化の背景に入っていく流れがとてもよい感じなので引用紹介します。話の流れでプルシャが「真我」と訳されていたりもしますが、ここでは「純粋主観=プルシャ」「自性=プラクリティ」です。

<341ページより>
その純粋主観が、いよいよ世界を造るのに関係してくる。そうなるとこれが、もっと現実味を帯びてくるわけです。それはどういうことかと言いますと、一方の自性、これの方はネーチャー、ナトゥラ、ナトゥラというのはものを生み出すという字なんですから、だから生み出されたものをネーチャーと言うんです。普通自然というのは宇宙の根本的な力でもって生み出されたものです。で、この生み出すものもネーチャーなんですね。この場合の自性というのは、生み出されたネーチャーじゃなくって、生み出しているネーチャーなんです。自然を生み出していく力っていいますか、そういうものをナトゥラとこういいます。そういうものを考えていく。ですから宇宙の創造者はこっちの方なんです。だからこれは神様です。そういうところは面白いですね。神様なんてものは、そう偉いもんだと考えていないわけです。こっちの方が位は上なんです。ところが世界をつくるのはこっちですね。

自然の法則のほうが象徴としての神様よりも上なんだよ、ということの説明がチャーミングさ全開で展開されております。




(続きです)

 ちょっと余談ですが、この考え方が、インドの宗教ではずーっとそうだと思っていたんですね。インドでは必ず男の神様と女の神様と二人の男女神がある。仏教では一人で…、仏様なんていうのは本当に寂しい存在ですけれど、インドの神様なんていうのはにぎやかで、必ず奥さんと二人でいる。その二人の中で、宇宙を造っていく原動力になっていくのが、この奥さんのほうなんです。ご主人の神様シヴァ神に対してカーリー神という女の神様がおって、この女の神様が宇宙を造っていく。これは我々にとってお母さんですからね。我々にとって一番大事な、一番権力をもって、一番懐かしい存在なわけです。だからインド人の信者はカーリーの神の方をよけい信じる。


(中略)


まず子供を産んで、その子供を育てて、一番権利を持っているのは女や。だからそういう家庭みたいなもんや、この世界は。そういうふうにインドの宗教は考えておったんです。

ほっこりします。サーンキヤのこの部分は、経典のコメンタリー本を踏襲すると絶対にフェミニズムの人には見せられないような説明(笑)になるのだけど、この説明は全方位的に素敵。




転変(parinama)の説明は、「わたしには子供のころから老人の形が備わっていた」という事例でお話をされています。顕現を「アピールなものとして現実的に出てくる」という微妙なカタカナ英語で話されているのですが、これも妙にしっくりいきます。せっかくなので、転変とサーンキヤの因中有果論の説明箇所を引用紹介します。

<344ページより>
自性の中から万物が展開していくことを、パリナーマ(parinama)と言うんです。これを転変と、支那で訳していますけれども、このパリナーマという言葉は、今日の言葉で言うと、展開と訳してもいいと思うんですがね。しかしその展開というのは、どういうことかと言いますと、顕れると…。潜在的であったものが顕在的になる。ただエネルギー的としてあったものを、はっきりとした現実の存在になってくる。そういう意味がパリナーマという意味なんです。
 それはどうしてそういうふうに言えるかと言いますと、数論哲学では因中有果論という考え方があるんです。因中有果論というのは、原因の中に果があるという…、果の方から言いますと、果というのは我々の眼に見えている現実の世界が、これ結果ですから、果ですね。結果というものは元来原因の中にちゃんとあったんやと、こういう考え方です。

ここの、「ただエネルギー的としてあったもの」という語感が好きです。「エネルギーとしてあった」ではないこの妙。サーンキヤは断定してくれないと頭に入らない人にはむずかしい哲学なんですよね……。なのでヨーガも実はそうなんです。




ヨーガ・スートラのなかにはサーンキヤ理論とヴェーダーンタ的な節(ギーターにもあったような二元超越など)が混在しています。日本は自力で突き詰める力を失わせる教育が続いているので、そのうちサーンキヤを背景にしたヨーガはトリグナしかわからんなぁ、という人ばかりになるのではないかな。
ゼロの概念を定義したインドが好きな、そっち側の人がもっと増えると楽しいんだけどなぁ。
そんななか、日本の生活にフィットした喩えに落とし込んで説明をした佐保田先生は、やっぱり素敵。

(この本は京都にある日本ヨーガ禅道院で購入できます)

▼「聞き書き抄 解説ヨーガ・スートラ」の感想・前後分はこちら


★参考:佐保田鶴治先生の本の感想をまとめた本棚