うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

三点倒立の練習とマーヤーとモーハー


三点倒立の練習をする生徒さん(読者さん)たちを見ていると、さまざまなことに気づきます。
わたしは、アーサナの難易度ではダウンワードドッグT字バランス、ナバーサナ、ヨガニードラ中のシャバーサナを上に位置づけていて、倒立はその下くらいにあります。倒立は見た目のインパクトがあるだけで、自分の中でリキまずに「イケた」「イケてない」の打率を難易度の尺度にすると、もっとむずかしいものがたくさんあります。
でも多くの人は、三点倒立を「むずかしいポーズの王様」のように扱います。



でもね。



「むずかしい」の半分以上は「あこがれ」によるマーヤーです。



マーヤーというのは、サンスクリット語。イリュージョン、幻のこと。プリンセス・テンコー☆よ。
わたしは、自分自身が三点倒立の習得にあまり苦労をしなかったので、「むずかしいって誰が決めたのかな」という気持ちを忘ないようにしつつ、でも「できるようになりたい」というみなさんのあこがれの気持ちは大切に受け止めるようにしています。むずかしいと感じるのはあこがれの裏返しなんだ、と受け止める。
でもね、むずかしいというのはやっぱりマーヤーだと思う。(物理的にはむずかしくないと思っている)




そして



「こわい」のほとんどは「タマス」によるモーハーです。



タマスもモーハーもサンスクリット語。鈍性とよく訳されますが、わたしの感覚では「どんより成分」という感じです。サッといかない感じです。モーハーは妄想とか迷妄と訳されます。タマスがモーハーを作り出したり、モーハーがタマスを誘って利用する。相思相愛の心の機能。
まだ起こってもいない失敗を想像してふてくされてやらないのか、そもそもやりたくない理由として「こわい」ってことにしてるのか。どっちにしても




 後ろに倒れるのがこわい




じゃあ、やめますか。その確率はゼロになんないんで。
といってしまうと夢がないので、倒立の特訓クラスでは「背面の空間を確かめる方法」を伝授します。図解からクイズまで、いろいろします。練習は超☆個人的なものだけど、「こわい」「できない」と、身体はできるのに頭が勝手に決めつけていることがとても多い。同じママチャリでも、乗る人が乗ればすごい走りができる。
倒立の練習クラスは、「あなたのボディを低機能だって、勝手に決めないでくださいよ」と、あなたの頭に対してわたしが代弁しているだけ。



わたしは、倒立のアーサナは見た目がすごそうなのをいいことに、練習を封建的な設計にしたい人が「むずかしいということにしたアーサナ」ではないかと思っています。視覚の恐怖の大きさを利用した頭のいい人が、昔いたんだろうなーとか、仏教に対抗するためにそうしたんじゃないの? とか。そのくらい、ほとんどのハードルは「視覚」にあると考えています。