うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

三点倒立のコツのコツ 5つの知覚の優位性を入れ替えること

これはヨガの三点倒立に限らず、例えばアルダ・チャンドラ・アーサナサトウキビのポーズウッティタ・ハスタ・パーダングシュタ・アーサナでも同じことが言えるのですが、今日は感覚の奥の前提条件を剥がすことについて書きます。
三点倒立についてはこれまでにもたくさん書いてきましたが、物理的には難しくありません。低く床スレスレのところで保つようなアーム・バランスに比べたら、必要な力も少ないポーズです。


嘘だ! と思ったかたは、どうぞマイルドな気持ちでこの先をお読みください。
まずは、よくある「視覚8割超説」の円グラフをご覧ください。

 

視覚8割超説

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これは『産業教育機器システム便覧』(教育機器編集委員会編 日科技連出版社 1972)が出典とされている知覚の比率で、視覚デザイン・広告の分野でたまに目にするものです。

 

ヨガの練習で木のポーズをやってみたらわかると思うのですが、目を閉じて片足で何秒も立っているのは、すごく難しいです。

 

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両足でも、目を閉じていると、足の裏の世界で目まぐるしく比重が移り変わり、回っている感じが話あるかと思います。

 

━━ ここまでは、すべてのバランス・ポーズに共通して言えることです。

 

 

視覚への依存を剥がすのが難しい

冒頭の視覚8割超の円グラフはどういう状態での実験かわかりませんが、わたしが想像するに、それがジャングルの中であれば変わってくるだろうと思います。


例えば泥道を歩く瞬間。この大きな水溜りは実は底なし沼かもしれないという、まるで水曜スペシャルのようなその瞬間! ジャジャーン(←CM直前)

 

こういうとき、5つの知覚器官の組織メンバーの中でも触覚の「足の裏」に優位性の異動が起こるはずです。(ここで移動と書かずに異動とする理由が気になる方は、こちらをご覧ください
知覚器官へ向ける意識の優位性が瞬間的に変わる。

 

この道はオオカミが出ると聞いていれば、犬のような唸り声や鳴き声に敏感になり、聴覚が優位になります。
この道に超絶おいしいウナギ屋があると聞いていれば、嗅覚が優位になります。
と、このように、注意が向けば優位性は自分の中で配分を変えます。

 

これと同じことがバランスポーズでも起こるのですが、この配分を変えるうえで「視覚への過剰な意識を捨てる」のが、どうやら多くの人にとって難しいようです。
なのでね、自分はいま心の中の歩みを止めて、道の先を見るのではなく、オオカミとウナギに注意を向けているのだと、そういう気持ちの切り替えが必要です。

 

感覚の入れ替えイメージ

さて。ここからは意識の再配分のイメージの話です。
これまで視覚に与えていた多くの注意力の再配分先は、おもに聴覚と触覚です。
聴覚は別に音を聞き取ろうというわけではなく、その奥にある三半規管でバランスを察知するためです。
触覚は、肘の骨と手と、あとこれはほんの少しですが頭頂の皮膚感覚。日常にはない角度で重みを捉えたり床を押す感覚を使うことになります。
視覚は、慣れたらほとんど意識しません。自転車に乗る練習中は近視眼的でも、慣れれば乗りながら別の方向を見ることができるのと似ています。

 

入れ替え前後は、三点倒立ができるかできないかの頃は、こんな感じになります。

(わたしの感覚ね)

 

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毎回サッとできるようになると、視覚は2%くらい。瞼を閉じてもできるようになります)

 

倒立している間も、先に書いたような、普通に立って目を閉じているときと同じようにずっとぐるぐる配分が動き続けます。ものすごく安定して見える人でも、動いていることは動いています。

▼参考

 

わたしはバランスポーズにある、この「自分の中の感覚の優位性のスイッチング」が、意識の面ですごくよい練習だと思っています。
身体的な面ではコアを使ってうんぬん〜、と言ったりするのだと思うのですが、そんなことよりも感覚のボケ防止効果が絶大。


これが起こるポーズは倒立のほかにもたくさんあって、わたしがヨガクラスをやるときには「感覚の裏切りが多いポーズ」と言ったりしますが、メンタル面で予定調和ありきの状況を強く求める執着を剥がす練習になります。

もう少し具体的にいうと、慣れたオペレーションや馴れ合いの組織の中で自分が進めやすいルートを奪われたときに、意識の再配分を自分で起こせるということです。いつもの道具がなくてもやろうとする、そういう気持ち。それらしく書くと「無執着」。

 

あってもしょうがないものを捨てられないのは、「あっても役に立たない」という状況を認めるのに時間がかかるからだと思うのですが、あってもしょうがないものを認識する、そういう思考もトレーニングでなんとかなると思っています。
科学的な根拠はありませんけどね!

今日の話は以上でーす。