うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

終点のあの子 柚木麻子 著


いつもですが、この作家さんのストーリーは最初の数ページから手が止まらなくなり、イッキ読みしてしまう。
今までは「おもしろいから」だと思っていたのだけど、もしかしたらこれは、じっくり読むといろいろなことを思い出してつらいから、速いスピードで読んでしまうのかもしれない。
これは単行本デビュー作らしいのですが、他の作品の原型になるような人物の思考パターンがギュっと詰まっていて、「関係」の描写がかなり鋭い。この小説に出てくる女の子たちは、「テンションの高いメールを即レスしてくれる」ことが親しみの証であったり、「ひとりぼっちにならなくてすむか」が学校生活の優先順位の多くを占めている。
この作品の中で、いじめ(やる側にとっては懲らしめ・制裁)をした子が、別の友人に「どうしてあんなことしたの?」と聞かれて、こう答えます。



 「わからない。でも、あの時はああするしかないって思っていた」



この感じは、なにも女の子世界に限ったことではない。リベンジポルノやストーカーの心理も、近いかもしれない。
そしてその行為を受けた子は、のちに別の人に似たようなことし、昔のことをこう振り返る。



 あの頃は大人になれば、二度とこんな莫迦莫迦しい目には遭わないと思っていた。



この作家さんは、ここで「バカバカしい」でも「馬鹿馬鹿しい」でもなく、「莫迦莫迦しい」と書く。たまにこういう漢字の使いかたが引っかかる。
コトバンクで見たら、【梵 moha(愚の意)の転か。もと僧侶の隠語。「馬鹿」は当て字】とあった。
日本語になっている表現は漢訳仏教由来だけど、もとはサンスクリット語梵語)のモーハー。ヨガに引き寄せると「迷妄」「妄想」と訳されることが多い。



 年齢を重ねればブッディがはたらき、
 モーハーやマーヤーに煩わされないと思ったら、大間違いだ。



そう、年齢は関係ない。この作家さんの作品を読みながら心がうずくポイントは、ここにある。
この作品は登場する女の子たちの「捨てゼリフ」がすごく印象的なのだけど、そこから相手が妄想に火をつけるプロセスは「こういう思考を止めるのは修行をしないとダメで、これは一生続くよ」と教えてくれる。
この作品を読んで、なぜわたしが今この作家さんにハマるのかがわかった。女性同士に限らず、人間の心の「関係把握」を学びなおすのに、こんなにリアルな描き方がなかなかないからだ。
ちなみにわたしがいちばんヒリヒリ感じたのは、初めてアルバイトをする女の子が、年長者に気に入られて「いただきもの」をして、それが続いてキれちゃう場面。こういう「年長者からのマウントに対する葛藤」のエピソードを織り込んでくるあたり、ほんとうにうまいなぁと思う。


本編には関係ないのですが、この本のカバーの絵・菅野裕美さんの作品にも惹かれました。
こんな装丁


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