夏目漱石の小説「草枕」の冒頭に、こんな有名なフレーズがあります。
智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
夏目漱石はインドのサーンキヤ学派の「三苦」の影響を受けていたという説があるそうですが(参考)、この「三苦」はバガヴァッド・ギーターの2章56節にも登場します。サーンキヤ特有の思想というよりは、もともとインド思想の根底にあるものです。
三重の逆境に処しても心を乱さず 順境にあっても決して心おごらず
執着と恐れと怒りを捨てた人を 不動心の聖者とよぶ
(田中嫺玉「神の詩」)
上村勝彦先生版も宇野先生版も「三苦」の要素が訳に入っていないのですが、田中嫺玉さん版はここが残されていて、本文サンスクリットの冒頭の「duhkhesv」というのが、三苦の思想です。嫺玉さん版の「三苦」注釈には
- 自然界からくるもの(天災、気候)
- 人間を含めた他の生物からくるもの
- 自分の肉体に関するもの
とあります。日本ヴェーダーンタ協会版も同じ訳で、とてもわかりやすいです。
この「三苦」は、サーンキヤ・カーリカーというサーンキヤ学派の書物の第一節に書かれています。よくヨガのクラスで「オーム シャ〜ンティ シャ〜ンティ シャ〜ンティヒ〜」と3回唱えますが、この3つの世界に対しての平安を願っています。
夏目漱石は「草枕」の冒頭で人の世の住みにくさをボヤきつつ、別の小説「こころ」で
とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ。
と、内・外を超えた苦しみについて語ります。
ヨーガ・スートラやバガヴァッド・ギーターを読んでみたけれどさっぱりわからないというのは、この国に生まれ育っていたらある意味正常です。「ものすごく遠くの教えに感じる」というほうが、この国では世渡り上手かもしれません。日本人はそういうシステムの中で生きてきました。それは今後も続くでしょう。
わたしは、日本人の心を筋肉質にしていくには、日本人なりのやり方があると考えています。「むずかしいことはわからない」といって自分に向き合う思考を放棄してしまうことなく、じっくりゆっくり、学んでゆけばよいと思います。その提案のひとつとして、「大人になってから夏目漱石を読む」というのをおすすめしています。
▼そんなさなかに、朝日新聞が粋なことをっ☆
「こころ」100年ぶりに連載 夏目漱石の代表作 4月20日スタート(朝日新聞デジタル)