うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

吐く息と作用と反作用

今日は、ここ連日紹介してきた沖先生の「ヨガによる健康の秘訣」の「からだ編」にあった「79ページ 修正体操」の箇所の記述をもとに、ちょっとうちこのサンプルを加えて紹介します。
沖先生が書かれている


「からだは、どんなポーズをとり動作を行うときでも、ゆるむところとしまるところのバランスをとるようにはたらく。だから、形のとり方、角度の違え方で力のはいるところとぬけるところおよび影響するところが違う。これは、からだの各部分がおたがいに関係し合っているからである。」


というのは、いつもうちこが感じている「アーサナにまったく同じものはない(同じ瞬間はない)」ということ。
たとえば、牛の顔のポーズ(ゴームカ・アーサナ)でも、「以前は逆の手が上って教わったんだけどな。どっちが正しいの?」といったような疑問は、他のアーサナでも発生しがちかと思うのですが、「どれも、間違ってません」というのがうちこの回答。でも、ここではこうしています。という感じですね。
それぞれのアーサナの中にベクトルがあるので、そういうのはずっとやり続けて呼吸との連動を観察して見つけていくもの。やり続けているうちに、気づくために必要な状態に体が変化もする。なので、「アーサナにまったく同じ瞬間はない」と感じています。
うちこも別の教わり方をすれば、「こっちがこうなったときは……、なるほどなるほど」と、その状態から呼吸に教えてもらいます。吸ったとき・吐いたときに、トラップが見える。その反作用を探すんです。身体で見つける。


たとえば、「ヨガによる健康の秘訣」に書かれていた

2)片手を上げると、低い場合は同じ側の腰に、高く上げた場合は反対側の腰に力がはいる。

これは、たとえば

よくあるこんな動きの場合、

 ・吐く息で持っていく手は、素直に、存分に
 ・その作用を、持っていく方向にある膝が床に向かうベクトルでさらに強める(作用の補強・細い矢印)
 ・でありながらも、残された手・肩の奥にある膝には、持っていかれそうになるトラップがある
 ・これに反作用するように、そっちの膝はより強く床に刺す(反作用・太い矢印)
 ・その反作用は、まっすぐに刺す。これにより、ツイストが深まる


というのが今の時点のうちこが感じるところ。


ほかに、こんなところにもあります。


この場合は、

 ・伸ばす体側と対角線上にあるお尻の骨で床を意識する(作用の補強)
 ・伸ばす側にあるお尻の骨が床に真っ直ぐに向かうベクトルが、反作用(縦の矢印)



よくある半月のポーズもまったく同じ原理です


この場合は、

 立っている脚のぶんベクトルを利かせる距離が長いので、
 曲げる側にある方向にある土踏まずを意識

 そして、

 地味に長い呼吸だけど、強めのバンダ。


この、
作用を補強しながら、強く反作用するベクトルを同時に扱うバンダのとき、次に吸う息では反作用に引っ張られるので、「地味に長い呼吸」というのがとても重要と感じています。
そしてさらに、特に下の二つは、


 胸の裏までで呼吸が折り返しがちなところを、
 地味に長く背骨にも意識を向けることで、
 より下まで呼吸を届ける


この度合いで、随分深みが違ってきます。
どんなふうに違うかというと、ほかのいろいろなポイントも押さえやすくなるんです。


 ・首を長く保つこと
 ・体側を優雅に伸ばすこと
 ・縮んでいる側のあばらを潰さないこと
 ・胸と額を開くこと


半月のポーズはさらに


 ・手首、内腿、足首を締めること
 ・両膝をしっかり伸ばすこと


も加わります。
よくいろいろな先生がおっしゃると思います。「あせってグイグイやるな」と。
この、呼吸を届ける奥行きを意識すると、グイグイはできないんですね。そして、「呼吸が教えてくれること」を見失わない速度というのは、当然ゆったりになる。ものすごく微細なことで集中力も観察力も総動員のなか、そんなにパッとわかってできたら天才です。


はじめに書きましたが、「アーサナにまったく同じ瞬間はない」と、いつも思います。
中のオッサンが勝手に飲みすぎたり、ちょっと人の邪気に当たってしまった日など、肝臓(右側)の調子がよくないときもあれば、12時間以上何も食べてなくて胃が空っぽでいい感じ(左側)のときもある。
イベントごとなどでヒールのある靴で長時間立っていた日は、脚の外側に体重を逃がしたくなる。気がかりな事があって胸の裏側に呼吸を送り込みにくい日もあるし、なんか首が詰まってる、なんて日もある。


なので、その日の呼吸に聞くのがいちばんいい。
でも、やっぱり法則はある。身体は、袋だから。その中を空気(呼吸)や液体(血や体液)や肉だの骨だのが動いている。そのなかで、リーダー格的にいろいろな要素をまとめてくれるのが呼吸。そんなイメージです。

法則は、言われてわかることもあるけれど、それは、その説明をきいたときに、必要な筋肉の収縮やバンダが足りていたとき。かなり一期一会な感じです。ずっと同じことを言われ続けて、何年もたってからわかるなんてことが、うちこもいまだにたくさんあります。だから、楽しい。ずっと楽しい。
こっそり頑張ってグイグイやってみても他の上手な人と同じようにできなかったからといって、「向いてない」と思うのは、どれだけ身体をバカにしているのかということです。向いているとか向いていないなんてことがないのが、ヨガの包容力。

でも、続かない人もやっぱりいる。そんなときは、この「地味すぎるゲーム」は、進化しまくったゲームがたくさんある世の中では、ちょっとつまらないのかもしれないね、と思います。



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