「からだ編」「呼吸と食事編」に続いて今日で最終回、「こころ編」です。
この本はいつものように1冊ドーンと紹介しようと思っていたのですが、この「こころ編」がとても良かったので、バランスを見て3回に分けました。加藤諦三さんの『「思いこみ」の心理』という本を紹介したとき、末尾に
『「ノイローゼ」という言葉が使われなくなってから、こういうトーンで書き続けている人は少ない気がする。沖先生の言葉を現代的に仕上げてくださっている』
と書いたのですが、やっぱり沖先生のこころ分解論は、解剖学的。
身体の一部として、背骨のゆがみと同じようにこころのゆがみについて書かれています。前回の日記の最後に
『ヨガを始めた頃は、体の変化を感じて「いいな」と思ったけど、いまは「頭を使うこと」「こころを使うこと」のほうにそれを感じる』
と書きました。
これは、体の中(筋肉や骨や腱)が動くのと同じように、心の中(サトヴィック・ラジャシック・タマシック)が動くのが感じられるようになったから。意識の中でこの成分(グナ)を分解することがあたりまえになってしまうと、例えばイラだつこととか、悲しいこととかは「ああ、いま配分的にラジャス多め」とか「タマス増量中」というようなことになり、「いま、こうだわぁ」と、ちょっと人ごとみたいになってくる。これがいつも言っている、「中のオッサン」なんですね。「うちこちゃん、いまその話聞きながらラジャス増えとるよー。その人のエゴ、受け止めんしゃい。修行ぞ」と教えてくれる。
前段が長くなりすぎてしまった。紹介いきます。
<208ページ 基本的こころ より>
生きるに必要なバランス維持(自律性・自動性)のはたらきを行っているのが自律神経とホルモンで、この統制と大脳への中継をしているところが間脳である。ヨガでは、生きているものすべてに与えられている生を守るこの自然心(バランス維持)を、基本的なこころ(生物心)といっており、このこころは目覚めとねむり、エネルギーのバランス保持などの基本的な平衡維持の欲求活動を行っている。また、このこころのことを "生きることを守る神のこころ" とも形容している。
平衡維持力は天地自然のこころのはたらきであって、この自然のはたらきが人体内にも存在し、神秘的なリズムをかもしだしている。この自然のこころは、プラス・マイナスの相反するふたつのはたらきが微妙な協調を保っている。このプラス・マイナスがよく協調しているときは快感を覚え、どちらかの力が強まりすぎて協調しにくいときは不快感を覚えるのである。しかも、この平衡感覚のこころは自動的なもので、その主役をなすものが自律神経とそれに協力する化学物質のホルモンである。このふたつの調節機能がうまくはたらかないときに現れるのが、病気と煩悶である。この調節機能は自己防衛の知恵としてもはたらいており、胃を切りとると腸の一部が代行役を果たすし、肝臓は七五パーセント切りとっても再生する。ばい菌などを殺すのもこのはたらきである。
バランスしているときの地味な快感がわかるようになると、アーサナの奥行きが格段に増す。そして、自分の中にゴキブリ並みにしぶとい「生物心」のパワーがあると信じてごらんなさいな。そりゃあもう、頼もしいでしょ(笑)。みんな根は強い。
<214ページ こころのエネルギーの使い方 より>
こころのはたらきも、からだのはたらきも、それをなしている主なものが、神経とホルモンであり、これをはたらかしているものがエネルギーである。だから、どういうタイプや癖の持ち主であるか、どういうコントロールの仕方が身についているか(これがすなわち性格である)によって、その現わし方が違うのである。
(中略)
なぐったり・どなったりするエネルギーと、けんめいに、仕事の方に専心するエネルギーとは同一のものである。悩んで苦しむエネルギーと、笑って喜ぶエネルギーもまた、同一のものである。
エネルギーは、どの方向に使うことも許されており、その使い方を支配しているものが、身についたはたらきである。
皆さんも、なにか忙しいことがあって、悩んだりしている暇のない生活が続いたときほど、からだもすこやかで、こころもまた晴れやかであった経験をおもちであると思う。
皆さんは、自分のエネルギーを、どの方向に使いたいと思われるであろうか。一番、自分にも、他人にもためになる方向に使うような、心身のはたらきの習慣性を訓練によって、身につけたいという目的をもっているのが、ヨガの行法と哲学である。
この、よい方向にだけ自分を使えるようになった状態を、自己コントロールという。また、自己コントロールによって、いっさいの異常(苦しみ・悩み等々)から解放された生き方を、解脱(ムクシャ、自由という意味、悟りと健康がひとつになったもの)というのである。
そう、「怒っても1秒、笑っても1秒」なんですよね。「怒りの理由」はユーモアという知恵で「笑いに変換」できます。「人のためになる」とかいっちゃうとまた大仰なことになってしまうのだけど、せめて「ちょっとおかしく」くらいはできるようになりたいものです。
<217ページ 感覚・感情 より>
梅干しと聞いただけで、スッパイと感ずることができるのは、梅干しの味を体験している者だけである。だから、違った環境に育った者同士や、異なった体験の者同士は、おのおのが無意識に異なった感じ方や考え方をしてしまうので、対立しやすいし、気も合いにくく話も通じにくいのである。
これはチーム・ワークの重要なメソッドになる。
<233ページ 自分のタイプ より>
自分を生かし、自分を改造・コントロールまたは活用するためには、まず自分をよく知らなくてはならない。
私たちは、生まれつきの "型(タイプ)" をもっている。この "型" というのは、生まれつきどこが発達しているか、こころのエネルギーをどの方向に使用する傾向があるかということである。人間を他の動物と比較してみると、脳の発達がその特徴としてあげられる。これが、まず第一に私たち人間の生まれつきの "型" である。この脳の発達部位によって、人間それぞれの "型" がでてくる。これが個性といわれる、型(タイプ)である。このタイプの基本系には、脳の発達部位の違いによって、つぎの三つにわけることができる。
前頭層の発達 ── 情動型
頭頂層の発達 ── 行動型
後頭層の発達 ── 知性型
情動型は感情が中心で、楽しむことを好み、緊張できにくい体質である。このタイプの人の職業には、芸術家、作家などが多い。
行動型は体験することが中心で、合理性を好み、持続的に緊張できる体質である。このタイプの人には、科学的研究や、スポーツなどが向いている。
知性型は考えることが中心で、知ることに価値をおき、常時、ゆるい緊張をつづけられる体質である。このタイプの人には事務関係の仕事が向いている。
この基本タイプ(個性)の上に後天的な習慣性が身について、複雑な人間性を作りだしている。そして、この後天的習慣と基本タイプが一致したとき、自分を正しく生かしていくことができるのだ。つまり、自分の才能を正しく伸ばすには、生まれつきの基本タイプを知り、それに協力する習慣とそれを高める知性とを身につけていかなければならない。
以前「三点倒立」を紹介したとき、「わたしはもともと頭頂がわりと尖っています。コーン・ヘッズと祖先は同じじゃないかと思います。」と書きましたが、「行動型」か。
<235ページ 見についたこころの改造法 より>
身についたこころとは、記憶しているもののことである。私たちの古い脳は、どんなことでも拒否することなしに受け入れるという性格があるから、できるだけ、意識的に生きるように心がけて、刺激に新しい脳の批判を加えてから、受け入れる必要がある。この秘訣は、できるだけ息を整えてこころ静かに意識的に対処するように心がけて、常時自分を見失わないことである。
記憶は、新しい刺激(体験)があるたびに変化していくものである。だからできるだけ広く、知的・行動的体験をするように心がけて、弾力性と適応性の高いこころを作るようにする。
最後の「記憶は体験があるたびに変化していくもの。弾力性と適応性の高いこころを作れ」というのが、いい。たまらん。
もう最後の「たまらん」というのがまとめですが、たまらんですね。ほんとに。ことばの選び方、例のあげかた、そして時に「あきらかになんかイラっときたことがあったんですね(笑)」と思うような、人間味あふれまくる記述。
沖先生の人間味全開表現と佐保田先生のオヤジギャグ、どっち奪われたらつらい? と聞かれたら、一生悩みそう。
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