うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヨーガ入門 佐保田鶴治 著(池田書店/文庫)【前半】

ヨーガ入門 ココロとカラダをよみがえ
タイトルが以前紹介したベースボールマガジン社のものとまったく一緒なのでまぎらわしいのですが、表紙の雰囲気のとおり、古い本です。初版が昭和50年なのですが、沖先生の「ヨガの楽園」と中のイラストレーションの雰囲気が似ています。
沖先生のデビュー作「ヨガの楽園」が昭和37年なので、それから10年くらいたって、ヨガの知識が書籍として求められる母数が増えてきたのかな。そんな時代背景を想像します。
この本は、読んでびっくり。文庫サイズなのにおそろしく内容が濃い。凝念と静配の違いの説明などもしっかり語られています(これは後半で紹介)。そして入門書にも関わらず、「詳しくはヨーガ根本教典に書いてあるからね」と案内が……。自前同士だからって、そのステップは高すぎるだろ、とツッコみながら楽しく読みました。
ちなみに


イラストはこんな感じ。この頃はこのテイストがヨガっぽかったのか。石倉喜美男さんというかたのイラストです。


古い本なので、「コムラ=ふくらはぎ」です。ヤングのために、先に書いておく(笑)。

<122ページ 弓の体位【注意】>
(1)元の体位にかえるとき、その動作を急激にはやらないこと。
(2)上げた両足の親指はくっつけること。
(3)この体操では、背中の筋肉が背骨のカーブをつくるのではなくて(コブラの体位の場合と比較)、手と脚がつくるのですから、ココロを背骨を伝わる緊張感におくということはありません。ココロの集中の的(まと)は胸と腹にあるのです。もちろん、脚を上げるときには、背中とコムラの筋肉が強く引きしまります。
(4)手を足首にかけるときに、親指とほかの四本の指とが分かれないこと。
(5)全体を通じて、リラックスしていること。呼吸も止めないこと(熟練者はイキを止めてしてもよい)。

3と4は重要ですね。胸と腹の意識を少し分解すると、「あばらのハの字と両腰の4点でテーブルの足のように床を感じて、お腹が膨れて揺れないように、胸の裏の呼吸を意識」という感じかと思うのですが、「背骨インパクト」ではないんだよというのは本当に重要なところ。「手と脚がつくるのですから」といわれてもちょっとわかりにくいですが、上品ですよね。こういう表現がすごく京都風で好きです。(参考:過去のアーサナ紹介

<131ページ 足先に体重をかける体位【ききめ】>
(1)バランス養成の効果があります。
(2)コムラの筋肉を強くします。
(3)便秘によろしい。

最後が京風。はんなり。

<139ページ 孔雀の体位【ききめ】より>
眼にもよく、近視や遠視の人は毎日この体位を実行するとよいでしょう。

ここ読んでから孔雀をやっているのだけど、まだ3秒もたない。その間に充血しそう(笑)。

<154ページ バンダ体操とムドラー体操 より>
 この二種類の体操は、ハタ・ヨーガにとっては、非常に重要な部分をなしていますが、それは宗教的、つまりスピリチュアルな面でのことであって、健康を主な目的とする人にとっては、それほど重要だとはいえません。
 ですから、ここでは片鱗だけを紹介することにします。

アーサナ解説のスタンスに「スピリチュアル」という表現を使っているのが、佐保田先生にしてはめずらしい。この本では全般このへんはスルーしようとしているのだけど、もとが博士なのでぜんぜんスルーしきれていないところがかわいらしい。

<154ページ ムーラ・バンダ【ききめ】と【注意】>
【ききめ】
肛門に配置されている末しょう神経を介して自律神経のシステムに刺戟を与えます。


【注意】
この体操の練習には、細心の注意が必要です。やりそこなうと、ひどい便秘になり、消化組織全体にわるい結果が出ます。性器もこの引きしめの影響範囲にあるので、下手をするとその方向に故障が起こることもあります。きわめて慎重に、月日をかけて一歩一歩と強化してゆくように心がけることが望ましいといえます。

こころや頭のほうにも支障が出たりするかも。締めてるつもりがユルくなってますよ、といったような。

<156ページ ジァーランダラ・バンダの解説より>
このバンダは、ほかの体操と結びつけて行なう場合が多いのです。
 このバンダは、背骨を引き上げる結果、脊髄を引き上げ、伸ばす作用があるので、脳によい影響を与えます。インドの古典では、このバンダは、クビのところを通っている多くの気道(生命のエネルギーの流れる管)をせきとめるはたらきがあり、老化を防ぐ効果があるとされています。
 たしかにこの引きしめは、頸椎骨を伸ばし胸椎骨を引き上げることになり、全身に活気を与えます。

甲状腺を刺激する要素もあるので、原発+社会不安で、このバンダを利用した健康法が出てきそうな気がします。これだけやってもしょうがないと思うけど。

<158ページ ウディヤーナ・バンダの解説より>
 このバンダの名称は、おおとりが大空にかけ上がることを意味する語からきていて、プラーナ(生命のエネルギー)が背中の気道(スシュムナー)を通ってかけ上がることを意味しています。

集中する、狭めるイメージがあったけど、意味を聞いたらイメージがガラリと変わりました。
(ちなみにここの解説は写真が若き日の番場さんらしき人で、少年のようなかわいらしいお顔でした)

<160ページ ムドラー体操 より>
 ムドラーということばは、「印」(しるし)を意味します。
 真言宗などで、手でいろいろな形をつくることを「印を結ぶ」といいますが、ムドラーとはこの印を意味します。ですから、ムドラーは、シンボル(象徴)のことだといったらよいでしょう。シンボルと潜在意識とのあいだには、密接な関係があることは、心理学者によって指摘されています。シンボルは潜在意識の表現であると同時に、シンボルは潜在意識に対して強い呼びかけの力をもっているのです。
 そういう点でムドラーは、たいへん興味ある体操ではありますが、本書の内容としては、それほど必要ではないでしょう。それに、ムドラーとバンダとは親類関係にあって、上記の三つのバンダは、すべてムドラーのなかにかぞえこまれていますし、よく知られているヨーガ・ムドラーや「逆転の体位」などのように普通の体位体操と外見上では区別のつかないものもあります。そのほかに独特のムドラーもありますが、なかにはかなりの危険が伴なうものもあるので、一般の人にはおすすめできません。
 要するに、ムドラーの特色は、
(イ)クンダリーという神的動力(シャクティ)を発動させることを目的とする。
(ロ)バンダとともに、イキの出、または入りを一定時間止めておく。
(ハ)ココロを一点に集中する。
という三点にあります。ですから、この三つの特長をそなえたならば、どんな体操でもムドラーに転化できるのだ、といえないことはないのです。

逃げようとして逃げ切れてない博士(笑)。もう、チャーミングすぎです。入門書だから、颯爽と去ってもいいのだけれど、そうできないところが博士の魅力。

<164ページ マハー・ムドラー【注意】>
(1)ムドラーは神秘的な意味をもった体操だけに、初歩の人が試みてはいけません。ほかの体操や呼吸法などを、ある程度、習熟してから始めるようにしてください。
(2)この体位は、形は体位は体操のなかの「脚に顔をつける体位と同様であっても、それに保息(吸ったイキを出さない)と、バンダを加えたところがちがっています。
(3)両手で足をつかんでから、上体を前へ伏せてゆく前に、五回短い呼吸を繰り返してから、深くイキを吸い、そして身体を脚のほうへ倒してゆく、というやり方もあります。
(4)この最終の体位中に、ココロのなかでは、背骨の下端に眠っていたクンダリーが眼をさまして、背中の気道をヒタイのうしろにある大神の聖所に向ってまっしぐらに登ってゆく姿を想像して描くのです。これを続けてゆくと、いろいろなビジョンが見えるようになる、ということです。

また結局書いてるし(笑)。

<173ページ クンバカ呼吸法 より>
(いわゆる方鼻、片鼻呼吸)
 三つの段階の呼吸の長さは、吸息の長さを1とすれば、保息が4、呼息が2の割り合いが理想である。しかし、呼吸法の練習には慣れないうちは、無理にこの理想値に合わせる必要はない、初めのうちは、呼息1 - 吸息1 - 保息1の割り合いで練習し、それに慣れてから、呼息2 - 吸息1 - 保息2の割り合いにし、最後に2 - 1 - 4の割り合いにする。

わかりやすい表現の中にまぎれた「理想値」という単語の使い方がちょっとツンデレっぽくて、ついついメモしていました。

<176ページ クンバカ呼吸法【注意】より>
 インド流の解釈によれば、吸いこんだプラーナ(気)の流れる気道(ナーリー)が二本あって、左側の気道を「イラー(月の道)」といい、右側の気道を「ピンガラ(日の道)」といいいます。この両気道を交互に使うことが正しい方法とされています。
 そういう説明は、ともかくとして、片鼻ずつの呼吸法には、いろいろな利点があります。第一には、両鼻の空気の通じ方の良否がわかるということです。両方がそろっていないとココロが平衡を保つことができず、仏教でいう「昏沈(気持ちが沈みこむ)、「散乱(気が散る)」のどちらかへ傾きやすいのです。それで片鼻ずつの呼吸によって通気の良否を知り、通じないほうの鼻は、あとで話す「浄化呼吸法(カパラバーティ)」によって治しておく必要があるのです。
 なお、交互呼吸は、両方同時の呼吸よりも呼吸関係の筋肉を強くします。

発音カナ記載をメモ。

<176ページ 音を立てる呼吸法(ウジャーイー) より>
吸息の際に、少しうつむき加減になり、ノドを半分閉じて、むせび泣くような柔かい摩擦音を立てる。ただし、この音は、むせび泣きとはちがって、平らに連続した音である。

む、むせび泣く! 急にウジャイが詩的で昭和な呼吸法に思えてきた。しかも、むせび泣きの上下とは違って平らだよ、と深追いしているところがたまらない。

<180ページ 浄化呼吸法(カパーラバーティ) より>
 この呼吸法は、インドの伝統では、プラーナーヤーマ(調気法)の一つではなく、六つの浄化法の一つに数えられています。呼吸法とはいっても、その使用目的はプラーナヤーマ系の呼吸法のそれとはちがっているのです。
 カパーラバーティというのは、「カパーラ」(頭がい骨、日本語の「かはらけ」の語源)の「バーティ」(光り、輝やき)という字で、「頭がい骨を光らせる方法」というほどのことを意味してます。

「というほどのことを」。はい。いちいち表現がツボってしまう。

<181ページ 浄化呼吸法(カパーラバーティ) より>
 すわり方は、「蓮華坐」(パドマ・アーサナ)が適している。その理由はこの呼吸法を長い時間はげしく行なうと、全身の細胞に猛烈なバイブレーション(振動)が起きてきて、座組みがくずれる恐れがあるからである。


(中略)


蓮華坐にはノドと肛門のバンダ(しめつけ)がつきものだが、この場合は、背骨を、まっすぐに保つことと座組み(結跏)を固くすることを心がければよい。

もうぜんぜん入門じゃない(笑)。

<201ページ 達人坐(シッダ・アーサナ 【やり方】より)
(男性の性器の置きどころを細かく説明している記述が珍しかったので、その部分をご紹介します)
(1)両脚を床の上に大きく開いてすわる。左脚を曲げて、足を手前へ引き寄せ、そのカカトを、しっかりと会陰(肛門と生殖器の中間部)につける。左足のうらは、右の太モモの内側に密着させる。肛門をカカトで圧迫するのではない。男性の場合、性器はカカトの上にのっている。
(2)次に右脚を曲げて、そのカカトを性器の、ちょうど真上の恥骨(ちこつ)の前にすえる。右の足のうらは、左のモモにそって伸びる。その足先を左脚のモモとコムラのあいだにはさみこむ。
(3)両方のクルブシは、性器をなかにはさんで上下に重なり合って、右足のカカトは、耻骨結合の前に直立する形になる。

よくわかんないけど痛そう。なんだけど、わたしが真剣に読んだところで、わからん。
ここまで細かい記述が珍しかったので、メモ。

<204ページ 吉祥坐(スヴァスティカ・アーサナ) より>
 この脚組みも、初めは困難です。クルブシのクロスは骨にこたえます。ですからきわめて徐々に慣れてゆくことが大切です。

「クルブシのクロスは骨にこたえます」という綴りが妙にツボってしまい……。


やはり入門書というのは書きなれてこそ書けるものなのだな、と思いました。
特に書く場面において、ヨガは「そこそこのところでやめておこう」というのがむずかしい。
今はエクササイズやトレーニングベースで書かれた入門書があふれる時代になったけど、この本が書かれた当時はまだその土壌もなかっただろうし。
そのうえで今ブームが2周して、エクササイズとしてヨガに関心が寄せられるようになった後だからこそ、こういう入門書の書かれ方がすごく沁みてくる。日本のヨーガの歴史を感じつつ、それ以上に佐保田博士の異常なサービス精神を感じる一冊でもありました。
(冒頭にも書きましたが、この本は池田書店のほうの「ヨーガ入門 ココロとカラダをよみがえらせる」です)