うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

アジャストとサジェスト

アジャストとサジェスト
ヨガのアーサナの指導を受ける場面で「アジャスト」という言葉がよく使われますが、わたしの師匠は「過度のアジャストはしないように」というポリシー。以前わたしがちょっと強めに手を入れてヨガ仲間にベクトルの示唆を行っていたら、「うちこちゃん、それ以上は、ダメよ。自分でやらなくなるからネ」と注意されました。
「アジャスト」とひとことでいっても、分解するといろいろな示唆のしかたがあって、わたしは2年前くらいにやってもらった、手をふれずに、でもまるで腰骨をつかんでいるかのような手の動作で骨盤を回すやりかたに感動したことがあります。「エア・アジャスト」。
骨盤を動かしたのは、紛れもなく自分の呼吸と身体なんですね。


アジャストとよくヨガの場面で言われますが、解剖学的な視点で行なうアジャストと、気の流れを示唆するアジャスト(わたしはこれを、「サジェスト」として区別している)があります。


アジャストのしかたのひとつに、「対になるベクトルを与えて反発の作用を示唆することが、ベクトルの指南になる」というやり方があります。呼吸を吐いて進む方向へ押すのではなく、進む方向の反対側から圧をかける。バッチコーイ、な感じ。
エナジーが沸いてくる系のアーサナ(わたしは「そもそもエナジーがないとできないアーサナ」と言っていますが……)で有効です。たとえば、ラクダのポーズであばらのハの字の位置に手を当て、少し圧をかけるようなことです。逆転の発想なので、どのアーサナでもこの示唆を行うことができます。
リシケシでお世話になったラジェンドラ先生はこの方法で何度もあらたな発見をくれました。カマル親方がブリッジしているわたしの上に乗っちゃうのも、同じく反発促進のアジャスト。


パリでお世話になったロバート先生は、逆に激サジェストだった。しかも、「ホントにちゃんとわかってる? たまにわからないのにうなずいてるでしょ」とまで言われた。「ああ、わかっていない流れの軌道を描いたのは、あのときだな」と、学びが多かった。


わたしがこれまで叩き込まれてきたのは、気の流れのほうが主。なので、アシュタンガをたまにやるときに受ける促進のアジャストは新鮮。でも同じアシュタンガでも、2つのアジャストの側面があるようです。以前先生が「いわゆるアイアンガー的な、解剖学的な視点に立った場合では……」と別バージョンもふまえた話しかたをされていたのが興味深かった。


ヨガ仲間とは日々いろいろな話をしますが、わたしは「意識のポイントの言い方が独特」といわれます。

ウサギのポーズのときに、息を吐く瞬間にぐっとあばらを中に入れて息を背中に回して背中を開いてほしいとき、「二日酔いで吐きそうなときにこみ上げてくる、あの感じ!」と言っているのは、ヨギとしてどうかと思いつつも「わかりやすい!」と、好評です(笑)。
ほかにもたくさん思いつきで話していますが、パスチモッターナ・アーサナでは、「背骨をところてんの中身のように、吐く息で前に押し出して。外側は箱。箱を動かさない意識で力は使わず、脱力したままで、中身だけズルッと出すの。ズル〜ッとね」てな具合です。
なめらかで均一な呼吸でスーッと降りてほしい椅子のポーズのときには、「美容室の椅子がプスーッと降りるときみたいに」、同様にさりげなくスーッと動いてほしいときは「あなたの知らない世界に出てくる幽霊みたいに」などなど、数えたらきりがありません。
たまにキョンシーみたいに腕は平行で、まっすぐ!」などの表現で「うちこちゃん、ヤングがキョトンとしてるよ」と笑われてしまいますが、マイコー並にかかとあげて!」は、前世代に通用してしまう。マイケル・ジャクソンは偉大。
かめはめ波」や「アラレちゃんのキーン」「スーパーマリオの○○みたいに」といったファミコン世代限定のワードも多々……。


ただなんとなく言っているわけではなくて、聞かたら自分が感じていることを実況する。ウサギのポーズでこみ上げてくる「あの感じ」は、「乗り物酔いのそれ」とは違うんです。「二日酔いのときのアレ」なんだ。今日たまたまヨガ仲間のハルナちゃんとそんな話をした。


おっと、話が横道にそれすぎた。
今日はなにが言いたかったかというと、「あの人はたくさんアジャストしてくれる」という、依存心だったり交換条件を出すような心理についてです。もしそのような意識で指導者を選ぶ気持ちがあるとしたら、それは、ちょっと残念なことかもしれません。
相手が選んだ言葉の精度はどうであれ、言われたことを具現化できるというのは、日々の仕事も含めてあらゆる場面で生かせるから。「自分だったらどう表現するかな」って考えてみると、言語脳の開発にもなる。微細な感覚表現の翻訳のトレーニングにもなる。


自分よりも少し荒い段階の言葉を選んでいるなぁ、という発信の指導に出会ってしまうこともある。そんなときは、指導者と生徒さんの関係を観察したらいい。表現力というのは、本を読んだり集中指導を受けただけで身につくものではないから。
わたしはいろいろな人とヨガをするけれど、そういうのも含めて楽しんでいます。