うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

空気感の不思議

言語も違うし年代も違う。

なのに似ていると感じる。

ここ数日間、この不思議な体験を味わっていました。

 

 

カポーティの初期短篇集を読んでいました。

先日映画を観た『ティファニーで朝食を』の原作者が若い頃に書いた作品を集めたものです。

 

 

読んでいると頭の中にストックされていた雰囲気の塊が溶け出して不思議と癒やされます。

口数の多さと少なさ、暴力と迷いのバランスが、90年代の野島伸司脚本ドラマのよう。

漠然と重くて、だけど光もあって、日没手前の時間がずっと続いている感じ。

 

 

  *   *   *

 

 

この数十年間、わたしは社会人としてパリッとしたい気持ちと食い合わせの良くないものを、なんとなく避けてきました。だけどこの本の物語は、不思議とすんなり入ってきます。

 

 

それにしても、なんでこんなになつかしいのだろう。

野島伸司さんは、もしかしてカポーティ作品の愛読者?

なんてことを思ってWikipediaを見てみたけれど、カポーティのことは書いてありませんでした。

新潟県柏崎市出身でロサンゼルスに留学されていた経歴が書かれていました。

 

 

はっとしました。

そうだ。

 

 

 

この写真は新潟県柏崎市の景色です。

ドラマ『高校教師』で、先生と生徒が最後に電車に乗って行った海(青海川)の近くです。

 

 

皮膚や粘膜で感じた記憶に触れてくるものは、言葉で表現しにくいものです。

インパクトで覚えているものや、自分の中で繰り返し刷り込んできた好き嫌いの感情ほど、安易に言葉にできます。

 

 

自分の性格を読み違えていることって、往々にしてある。

性格は格付けした性質で、内面で起こる変化の性向のもう一段階外にあるもの。

だから自己啓発も占いも心理学も精神分析も、わたしはなんだか雑なものと感じます。

同じ記憶の中にあるものでも、頭で処理したり言語化できない領域にまで、そんなふうにセオリーで踏み込まれてたまるかという気持ちがあります。