うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インド・ネパール旅の絵本 ― 甦る楽園と地獄 清水潔 著

1986年に出版された旅行記です。古本屋で見つけて買ったのですが、読んでみたらこれは保存版と思う内容で、ものすごくあたたかい気持ちになりました。

わたしは昔のインド旅行記を読むのが好きです。

 

いまはインターネットで現地に住む人が世界の暮らしをリアルタイムで伝えてくれるほど情報速度が上がったけれど、わたしは「最新」であることよりも、そこで味わった複雑な感情をゆっくり個人のなかに落とし込んで表現されたものを読むのが好きだということに気がつきました。

カルチャーショックを言語化するには時間がかかるものだから。


この本のあとがきに、こんなことが書いてありました。

いわゆる「カルチャーショック」を受けるのは、「歴史」や「報道」の客観的な「事実」によるのではなく、その時、その場で暮らしている人の「感情」にぶつかったことによることを、多くのインドの「友人」たちに教えられた。
(あとがき より)

そう! これ! と思いながら読みました。インドへ行くと、とにかく人間の感情にぶつかる。ちょこっとぶつかったり、激しくぶつかったり、時にはがっぷり四つで相撲をとることもある。
乗り物ひとつにしても、そのつど質問・確認・交渉・手続きをするのが当たり前で、その状況に慣れてくると、本来であればそれは非効率で面倒なことなのに、ものすごーーーく生きた心地がする。いつの間にか元気になっている。
そして日本へ帰ってしばらくすると、あの感覚はすっかり消えて、ここはおとなしくテンプレートに乗っていくには便利な国だとしみじみ感じる。物理的にラクではあるけれど、生きた心地はだいぶ減る。心がしんどくなる。

 

さて。

インドでは人が人に好意を示すときに、「輝いてるから」と普通に言ったりします。英語での会話だったからかもしれないけれど、初めて言われた時には何が起こったかと思いました。
日本では露骨に輝くと相手の目を刺激しすぎてしまうのか、そうはいかない。ギンギラギンだけはNGで、そこには「さりげなさ」も必須で、ペコペコしながら「輝かせていただきました」ということにするか、そうでなければあらかじめマイナス分を示しておく周到さが必要。そういう計算を自然にやることがコミュニケーションに組み込まれているかのような不健康なシステムが敷かれている。


この旅行記に、こんなことが書かれていました。

 光や明かりが乏しいほど人は心を開き、他人を必要として生きていくのだ。裸電球が蛍光灯に替わり、水銀灯と移り、ネオンが町中を照らし闇が遠くに去ってしまったと共に、ぼくらの文明は大切な友人をもなくしてしまった。
インド旅行記「活気ある夜」より)

ここを読んで、あ、ああそうかと思いました。
現代は携帯電話やインターネットで人と人が繋がりやすくなったというけれど、それは目的ありきで繋がりやすくなったというだけ。心を開く必要性を伴わない環境で感じる虚しさは、緊急事態宣言で人のいない夜道を歩きながらふと感じた小さな絶望と重なる。

 


あれれ。今日はなんだかセンチメンタルで愚痴っぽくなっていますね。

気分を切り替えましょう。


この本は後半がネパール旅行記になっています。そこに、こんなおもしろいエピソードが書かれていました。

農村ではむやみに鉄器を使って土を掘り返したり、むやみに草を刈ると地獄に落ちると戒められている。これも狭い土地を貧しい者同士が利用しあえる共存共栄の方途として考えられた現実的な判断から来ているようだ。お題目を唱えれば地獄へ落ちないという抜け道までもが用意されている。
(ネパール旅行記「バスの脱穀機」より)

ナイス地獄教育!

 

 

この本はインドの文化の伝えかた・トピックの立て方がよくて、観察眼が土着の文化に寄っているのが魅力です。
この国の人はこういうことを自然に信じているのね……と感じることがちょこちょこ出てきます。 
食べて、祈って、恋をして』のインド編にあった ”インド人には、グルがほとんどいる” の要素(後ほど引用文を紹介します)が、この清水潔さんの旅行記でも存分に感じられて、そこがすごくいい。
このように。

ブッダ・ガヤで読んだ宗教新聞には、インド全国に生き神さまが三百人いると書かれていた。奇跡を起こして人々を救うというのではなく、旧家の柱で何百年と時を刻んできたゼンマイ時計のように、正しい指針を人に知らせるためには代々ネジを巻く人が必要だと多くの人が考えているのだ。
インド旅行記「生き神さまの大陸」より)

 木陰は、インド人にとっては涼を求める場所にとどまらず教育の場所、信仰心を高める聖域として何千年もの間人々が大事にしてきた。先生が弟子を側に置きヒンドゥー教の奥義を教えたのもこの緑陰だし、修行者が瞑想にふけるのも木陰だ。今日でも、多くの人が町や村にやって来る宗教指導者の話を聞きに木陰に集まって来る。タゴールは、教育は自然と芸術が一致したところにこそ生まれなければならないとして、大樹の陰で師弟が座して学ぶ姿を理想とした。カルカッタ郊外の彼の大学は、今もこの方針を守っている。
インド旅行記「青空教室」より)

インド人にとっての師(グル)は、もともと生活に近い存在としてあって、そこからさらにリスペクトと掛け算でスター性や神秘性が加わって、神聖視されていく。


この感覚は、エリザベス・ギルバートさんの『食べて、祈って、恋をして』の38章にも書かれていました。

彼らはグルの教えとともに育ち、グルという存在にいつも心を開いている。あるインド人の少女が英語の文法を間違えて、「インド人には、グルがほとんどいるわ!」と言ったとき、わたしは彼女が本当は “ほとんどのインド人にグルがいる” と言いたいのだとわかったのだが、わたしもときおり、わたしにはグルがほとんどいる、という感覚を味わう。
(「食べて、祈って、恋をして」38章より)

わたしはこの説明の部分がものすごく印象に残っていて、それがこの清水潔さんの旅行記を読んでいたら、ありありと思い出されました。
そして、これは挿絵の効果もあると思うのですが、一緒に地面に座った状態の対話って、心に内容が入ってきやすいように思います。

 

著者がインドを旅していた年代はプーラン・デーヴィーが盗賊としてピークだった頃。少し前に読んだ安藤武子さんの『インド染織の旅』とも時代が近くて、今のインドの急成長っぷりをしみじみ感じました。
わたしもこの年代に旅してみたかったな。

 

▼こんな表紙の本です

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