うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インド・東南アジア紀行 ― エロスの神々を訪ねて 宗谷真爾 著

今年はかねてより気になっていたシャクティ信仰について知りたくて、このジャンルの本を読んでいます。1986年の本(わたしの手元にあるのは文庫版)です。この時代に書かれた日本人によるインド旅行記はおもしろいですね。解説を松村剛さんというかたが書かれています。そこに、こうありました。

 インド政府に招待されたと三島由紀夫がいうのをきいて、それならぜひベナレスに行ったらよいとすすめたのはぼくだった。
 ──ベナレスって……どんなところ?
 ──永遠と人間の悲惨とが、同居している町だよ。
(290ページ 解説 より)

三島由紀夫横尾忠則インド旅行記の影響って、わたしよりも上の世代の人にとってとても大きいようなのですが(参考)、オウム真理教の事件以降は日本からマサラ以外のインド色は消毒されてしまい、わたしがヨガを始めたころにはほんのり香ってくるくらいでした。かつての時代感、先日読んだ「理性のゆらぎ」以前の状況をこの本で知ることができました。
以下のように。

 最近の新聞が伝えるところによると、インドは「密輸天国」だそうで、アメリカやヨーロッパにも多くの信徒を持つ新興宗教「神の光教団」の教祖バロゲシュワールがニューデリーの空港で逮捕されたのは、ミキモトパールや宝石、ドルなどの密輸によるものであった。政府は外貨の節約と国産品推奨のため厳しい輸入規制を設けた結果、舶来品崇拝の風潮がたかまり、密輸ほどもうかる商売はないといわれるようになった。
入国管理がことのほか厳重なのは、そのためである。
(17ページ 天の章 神々のふるさとインド/聖牛ナンディーン より)

 近頃、新宿駅あたりでも「ハレ・クリシュナ!」と連呼しながら太鼓をたたいている若者たちを見かけることがあるが、これはボストン(アメリカ)に本部を置く「国際クリシュナ意識協会」ISKON 日本支部の人びとであり、この協会が刊行する機関誌 "Back yo Godhead"(神に帰れ)は、日本で印刷されているという。
(24ページ 天の章 神々のふるさとインド/ラーマとクリシュナ より)

へぇぇ、そうだったんだ。ということが、本編以外のところでちょろっと出てきておもしろかったです。


以下、神様ごとにほおお!となった箇所です。

 

ヴィシュヌ

ヴィシュヌは化身が多すぎて、ついていけないの。

英雄クリシュナは、ヴィシュヌ神がみずからぬいた黒と白の髪の毛のうち、黒い毛から産まれたという。かれは幼少時代を牧場で過ごした。象牙彫りのクリシュナが右手に持っているのは牛を呼ぶ笛であり、ここでゴービンダ(牧童)クリシュナはゴピ(牛飼い女)ラーダーと恋をして結ばれる。このラーダーは前記シーターとともに、神妃ラクシュミー(日本では吉祥天)の化身とされている。
 クリシュナ崇拝で最も有名なのはチャイタニャ派と称するもので、クリシュナとその配偶者ラーダーのみを崇拝し、その他の配偶者は認めない。そして、ただ一途にクリシュナの神名を反復するのだ。
(23ページ 天の章 神々のふるさとインド/ラーマとクリシュナ より)

知れば知るほどややこしい…

 

 

シヴァ

ヨギーにはシヴァ神が身近に感じられます。

 インド神話によると、水の女神ガンガー Ganga Devi は、信仰心篤い人びとの灰を洗いとって天国に再生せしむるという。そこにつまり、原始的な一種の浄土信仰が存在するのであり、仏教がアミターバ(阿弥陀)をその仏としたように、ヒンドゥーイズムでは、女神ガンガーが流れゆく最涯の浄土へはこぶための神として崇められたのである。ちょうどそれは沖縄のニライカナイ信仰や、四天王寺の難波の海の、落日のかなたのユートピア願望に似ているといえよう。
 神話に話をもどすが、聖なるガンジスといえども、多量の水をいちどきに流せば洪水になってしまう。そこでヒマラヤにすむシヴァ神が頭髪に天の水を受け、しずくにして下界へ流しているという。シヴァの別名がガンジスの保持者 Gangadhara とされるゆえんである。
(164ページ 人の章 神の火柱と、女神の深い谷/色あせる栄光 より)

なるほど。なのでガンジス川沿いはあんなにもシヴァ信仰が盛んなのですね。

 

 成田山といえば、あの日本密教不動明王は、金剛界五仏のうち大日如来が方便力によって勇猛な忿怒身を具現したものである。しかしその源流をさぐれば、サンスクリット名はアチャラナータ Acalanatha で、シヴァの異名がそのまま仏教にとり入れられたものである。火焔を負い剣と羂索を持って立つ不動のすがたは、まさしくシヴァの怖るべきすがたを映し、変化させたものだろう。
(175ページ 人の章 神の火柱と、女神の深い谷/不動明王 より) 

日本でも不動明王を通じてシヴァに近づけます! 

 

 

シャクティ

これもシヴァ信仰ですが、インドで出会った結婚詐欺師のRさんからいろいろ教わって身近に感じられるようになったので、この本で学びなおしました。

 歴史的に見ると小乗仏教大乗仏教になり密教が生まれたが、最終期の密教はいわゆるタントラ派 Tantrism となった。そのタントラ派も、正確には仏教タントラとヒンドゥー教タントラの二種に分けることができ、それぞれタントラ(密教儀軌または経典)、マントラ(呪文)、ムドラー(印契)、ヤントラ(護符)から成りたつ。タントリズムはやがてチベットの土俗信仰(ボン教という呪術的宗教)と結婚してラマ教となり、チベット、ネパール、蒙古などのラマ教文化圏をかたちづくっていく。
 一方インドではヒンドゥー教に吸収されてシャクティ派となるが、シャクティ派の根本思想は、神妃のシャクティ(性力)を崇拝することにある。すなわちシヴァ神ブラフマンと同一のものと考えられ、そのままで静止していて非活動的なものであるが、配偶神と結びあうことによって動的になり、万有が運動を開始し万象が展開されると考えたのである。
 仏教の根本原理が万物の本質を空であると説くのに対し、むしろシャクティ派では女神によって動的となる一種のエネルギー、つまりシャクティをもって実体とみなす。シヴァ派がリンガムをシヴァのシンボルとして礼拝するのに対し、シャクティ派ではむしろ女神カーリーやドゥルガーを崇拝し、あるいはクリシュナの妃ラーダー、ラーマの妃シーターを崇拝する。したがってむしろリンガムよりも、かれらのシンボルはヨニであり、崇拝像は男女の双神像であることが多い。
(119ページ 人の章 神の火柱と、女神の深い谷/影の神 より)

女神によって動的となるエネルギーという考えかたは、陰陽やサーンキヤのプルシャ・プラクリティの関係も想起させる。それにしても夫婦の組み合わせのパターンが多すぎる。

 

 外壁を飾るシヴァやヴィシュヌはリアルで肉感的な男性像を示すが、神殿の内陣にはリンガム Lingam としてシンボルを以って祀られる。リンガムは、しばしばグラウルで真紅に塗りたくられている。月経中の交渉を意味するものと解釈されているが、なるほどシャクティ派においてメンスは神酒ソーマであり、月経中の媾合は最も子宝に恵まれるものと信ぜられていた。つまり豊饒の神リンガムは、神酒に祝福されながら子孫繁栄のために逞しい力を発揮せねばならなかったのである。
(180ページ 人の章 神の火柱と、女神の深い谷/天の美女 より)

こういう、のちのち「それ逆効果よ」と言われることも信じられていたのですね。


インドの信仰はどうにも理解しがたいことがたくさんあるのですが、わたしはなぜそこに惹かれるのだろう。
なんかこういうことにしておいたらゴチャゴチャ理由付けをせずに男女が睦み合うことができて、いいじゃないのと思うところがあるんですよね。
とりあえず大勢集まるとかとりあえず踊るとか、インドの「そういうことになっているのでそうします」という流儀がいちいち気になります。

 

インド・東南アジア紀行―エロスの神々を訪ねて

インド・東南アジア紀行―エロスの神々を訪ねて