うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

女盗賊プーラン 上下巻  プーラン・デヴィ著/武者圭子(翻訳)

その名前をこれまで何度か目にしていプーラン・デーヴィー。「三つ編み」に彼女のエピソードが登場して、いよいよ気になり伝記を読みました。

カーストから盗賊になり逮捕され、その後国会議員になった女性の伝記です。逮捕から国会議員の中間に何があったのか。そこにはどうにも要約しようのない、インド社会の複雑な性質があります。


正直なところ、読むまではこの人のことを知るのがちょっと怖いというか、知ってしまったらまたアンベードカルの伝記を読んだ時のような気分になるのだろうと身構えていました。そして読んでみたら、想像のはるか上をいく話でした。プーランは刑務所を出てから仏教徒になったと巻末の解説にあり、そこでまたアンベードカルの伝記を思い出しました。


もしインドのカーストについて知りたい人がいたら、この伝記を読んだ上で、最後の解説を読むとわかりやすいです。解説にある以下の一行は、本当にそのとおりだと思うから。

大多数のインド人にとってカースト制度とは身分制度にとどまらないいわば「思考原理」である。

(巻末解説 カースト社会の背景 大工原彌太郎 より)

 

この本が日本語で読めるようになったのは1997年。元の本は原稿が1995年にできあがり、文盲のプーランに読み聞かせて承諾を得て発行されたそうです。


この本を読んだら、初めてインドへ行ったときにホームステイ先の家族が絶対にわたしを単独で外に出さないようにした理由がよくわかりました。わたしの初めてのインド旅行は2002年で、プーランが亡くなったのは2001年。伝記の内容はちっとも昔のことじゃない。

 

よく日本の江戸時代を描く時代劇で、借金のあるお父さんに「なら代わりにこの娘を貰っていくぜ」と借金取りが言うシーンがありますが、社会構造としてはあの世界によく似ています。そして見せしめのやり方が想像を絶するほど残酷。

性欲の処理ではなく相手に上下関係を認識させるために行われる強姦は辱めることが目的なので、人前でなければ意味がないとばかりにそれをします。


わたしはニュースを見ていて「支配関係を認識させるための、辱めとしてのレイプ」と「抑制のきかない性犯罪」の境界がわからなくなり、裁判で言われる責任能力ってどういう定義? と思うことがあるのですが、この本の世界では、後者の「抑制のきかない性犯罪」はほんの一部。

いくつか印象に残った箇所を紹介します。

もうじき結婚して家を出るというルクミニは、その辺のところを承知していたにちがいないが、わたしが訊くと、ただそうこたえただけだった

「女の子は、家族以外の男の人と話をしてはいけないのよ、プーラン。もし男の人が、結婚しないまま女の子を連れていったら、その女の子はみんなものになってしまうの。そしたらもうだれも、その女の子とは結婚しないのよ」

 だがそれは、わたしにはわかりにくい説明だった。

(上巻「暗黙の掟」より)

ルクミニはプーランの姉の名前です。

こういう環境で自分たちの身を守るための性教育って、どうやったらいいんだろ。プーランは11歳で35歳の男と結婚し、その後相手は同居まで数年待たなければならないのだけど、まだ子どものプーランを強姦します。プーランは「あの男は蛇をもっている」と認識します。

 

同じカーストの貧しい人たちがみんなそうであるように、わからないことにぶつかるとただ驚き、怯えるだけだった。怖いこと、信じられないことから、ひたすら逃げて身を守ろうとする。無知というのは、飢餓と同じくらい残酷なことだと、わたしはこのとき思い知ったのだった。

(上巻「無知という残酷」より)

プーランは自分を守ろうとしてくれる弁護士が現れても、警官に強姦されることで立場を認識させられ口止めもされているので、ほんとうのことを話していい状況を理解できず、犠牲者であり続けます。

このような状態からどうしてプーランが盗賊になるのかまったく想像がつかないと思うのですが、それはこの伝記の肝なのでぜひ本を読んでください。

 

下巻では、プーランは別の力を身につけています。

 生き残る術というのは、習って身につくようなことではない。人はみな、定められた運命にしたがって生きているだけだ。だからわたしが生き残ったのもまた、それが運命だからに違いなかった。復讐を遂げるために、わたしは生き残ったのだ。

(下巻「盗賊の女王」より)

下巻は盗賊になってからのプーランの話。

盗賊といっても金品目当ての怪盗というよりは、社会のなかで富の再分配を行うことで貧しい人にとってヒーロー的存在になることもある。女ねずみ小僧といったらわかりやすいかな。

 

ただ、彼女の使命感は男性の盗賊仲間とは違います。

 金持ちの家を襲撃するとき、タクールの家などで召使の女の子を見かけると、わたしは必ず、その女の子の仕事は何かと訊ねた。

「なに、ただの召使だ」と、タクールはこたえる。

 だがその女の子を脇へ連れていって訊くと、こたえはたいてい違っていた。

「毎晩飲んで、男たちはわたしに乱暴します。父親、それから息子、親戚の男もです。みんな何でも好きなこと、するんです……」

 こういうことが多すぎた。

 だからわたしはそう聞くと、女たちを苛む男どもの蛇を、容赦なくたたき潰してやった。そいつを、体から切り離してやった。それがわたしの復習だった。それは女たちすべての、復讐でもあった。

(下巻「盗賊の女王」より)

この伝記は個人名とカースト名と役職を示す名称で少し混乱します。プーランはマッラというカーストに属し、タクールはその上とされるカーストの名称です。蛇というのはペニスのことです。

 

下巻ではヒンドゥ社会のなかでプーランを助けてくれたムスリムの人々との交流も書かれていました。

 途中、真っ暗ななかを、警官たちが通り過ぎていった。

「逃げちまったに違いないぜ。ここの連中が手助けしたんだろうよ」と、一人が言うのが聞こえた。

 じっさい、村人たちは助けてくれたのだった。隠れる場所を探して、家から家へ逃げていたとき、村人たちはだれもわたしたちを追い出したりはしなかった。警察に家を出ていかされる村人たちに、わたしはもっていた五万ルピー近くを渡した。わたしがもういよいよ終わりかもしれないと思うと、女性たちは泣きながら励ましてくれた。

「アラーがお守りくださるよ」

 ムスリムの人々は、マッラと同じように貧しかった。これがヒンドゥの村だったら、だれもがタクールを恐れ、タクールの言いなりになっているような村だったら、わたしはもうとっくに警官に突き出されていたかもしれなかった。

(下巻「包囲網」より)

プーランはのちに仏教に改宗しています。


この伝記には「読んでみて」としか言いようのない、要約しようのない世界が書かれています。こんなことってあるの? ほんとうなの? と思うかもしれませんが、わたしはこの本を読みながら何度か以下の本の印象を思い出しました。

 

どちらの本も、インドってこうなんですよね……という話といえばそうなのだけど、プーラン・デヴィの生涯は想像以上に壮絶でした。

 

文庫 女盗賊プーラン 上 (草思社文庫)

文庫 女盗賊プーラン 上 (草思社文庫)

文庫 女盗賊プーラン 下 (草思社文庫)

文庫 女盗賊プーラン 下 (草思社文庫)