関西でジョージ・オーウェルの『動物農場』をヨガの視点で読む会を開催してきました。
この物語は「行動のヨガ」などと訳されるカルマ・ヨーガの概念と現実について話しやすい題材を含んでいます。
人間社会の仕組みが、動物たち自らが運営する農場に喩えられています。
そして馬が体育会系であることが問題、という場面が何度かあります。
一生懸命さを誇ることが、文字通り「馬力」を誇示することになっている。
この小説を昭和30年代の感覚で読んだら、まったく違うディスカッショになっていたでしょう。
昭和~平成。訳の振れ幅がすごい
この日はコミックまで含めて複数の訳本が集まった状態で話すことができました。
馬力を誇示するボクサーというキャラクターが繰り返し口にするセリフの日本語訳は、大いに揺れています。
わし「が」では、腕まくりしすぎです。
わし「は」では、発言の重みの自己認識がなさすぎる。
「働こう」は、語尾に誘いのニュアンスがあるのかないのか。脳内サウンドが読者に託されます。(これオーディブルだったら、プロデューサーはどう指示するんだろう)
石ノ森章太郎さんバージョンになると、もう完全にあの時代の漫画家のそれ(トキワ荘仕込みの熱量)です。
ちなみに原文は「I will work harder.」です。
労働という名の「思考からの避難所」
この日は労働・奉仕という名の「思考からの避難」について、いろんな視点を交換しました。
現代のように「”好き” を仕事に」などとふわっふわにポジティブ・コーティングされたマジックワードが飛び交う世の中では、あまりこういう角度で話がされなくなっています。
だから多くの人が Youtube のような動的バイブレーションのあるものを見聞きし、その言い切り方に力のある人の声を探してしまうのでしょう。
わたし個人は、労働がないとバランスが取れない体質だけど、奉仕によってバランスを崩すことも知っている。斜に構えるよりも頑張ってあがいてみる方が、最終的には気持ちがいい。それを経験から学んできたと思っています。
たまたま評価されやすかっただけの場で頑張りすぎてボクサーのように自滅した経験があるので、限定的な評価を限定的に見られないことの恐ろしさも見ています。
(女性であっても男性ホルモンが強い時期って、ありません?)
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この日はヨガの教えを英語で読んでいるときに登場するフレーズ「will power」について、この場所でこの時代を生きながら実践的に掘り下げる機会になりました。
わたし自身、こういう逡巡の機会はひとりでは得られないものです。