うちこのヨガ日記

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酒・うた・男 わが放浪の記  淡谷のり子 著

友人宅の本棚から借りてきました。この本は初版が昭和32年。ご本人が50歳の頃に出版された自伝で、まあとにかくおもしろい。
さまざまなエピソードを文章化された編集の人の腕もあると思いますが、元の話がそうとう濃かったのだろうなと思う内容です。


自身の生い立ちから振り返り、当時の社会ムードがさらりと織り込まれ、登場する流行りものの固有名詞を検索して調べてみると、これまた興味深い。
明治・大正・昭和を、時代の流れを読みながら信念をもって生きてきた人なんだなということがわかります。


以下はいずれも、幼少の頃という章の「生い立ち」というエピソードの中からの引用です。

 松井須磨子の、カチューシャの唄が、流行り出す少し前の頃だった。私の母も、針仕事のひまに、須磨子の「牡丹刷毛」やイプセンの「人形の家」などかくし読んだという時勢に、私の家ではヤソ教を激しく憎み嫌うくらい、古い伝統の中に生きていたのだ。

父はぬけぬけと母の前でも、芸者買いの話や女郎買いの話をするが、母は笑って聞き流していた。

(わたしが知った頃はすでにモノマネ番組の審査員。「淡谷先生」という言い方が最初から刷り込まれているので、今日の呼称もおのずとそうなります)
淡谷先生は明治40年(1907年)、青森県のお生まれ。近い年代ですぐに思い浮かぶ人に林芙美子1903年生まれ)がいますが、淡谷先生が語る戦争時代の話は、林芙美子の小説「浮雲」の世界とよく似ています。父親の女遊びのオープンさは島崎藤村の小説「」(1911年の作品)の世界とも似ています。
淡谷先生の本を読んだら、これらの小説に書かれた時代が近く感じられるようになりました。

 


生活が苦しく、それでも音楽学校への学費を稼ぐために絵のヌードモデルをしていた話は有名なようで、先生を描いた画家の田口省吾という人も有名です。

 どこにも、縋りつくあてのなくなった私は、まるで金のためにギリギリのところまで押しつめられて、これではスリか万引きかするより仕方もない。女のどん底ということを考えるだけで、私は恥ずかしく、腹立たしくなって、顔がかっとあつくなった。
(幸福はどこに/モデルをやる より)

もっとほかのことをすればお金をたくさん得られるが、せめて、絵のモデルまで…という選択。


この話に関連して東郷青児(画家)のモデルになった浜村美智子の話がちらっと出てきたので気になって確認したら、田口省吾・東郷青児宇野千代ともに1897年生まれ。
淡谷先生のお話を伺いながら年表をこしらえるのが楽しい!

 

 

さて。
淡谷先生の時代はセクハラもパワハラも強烈です。
以下は、会社(ちなみに、コロムビア)のディレクターのT氏という人に食事に誘われ、食後のさらなる誘いを断ったあとの嫌がらせエピソードです。

 ある日、私の吹き込みのときに、珍しく五、六人の参観者があった。
 偉そうな紳士たちが並んでいるので、
「今日は何かあるの」
 と、心易い文芸部の人に聞いたら、その人はニタリと笑いながら、
淡谷のり子が梅毒で声が出ないというので、本社から重役さん達が立ち会いにきたんですよ」
 と、教えてくれた。
 T氏は陰へ回って「淡谷のり子は梅毒だ」と、いいふらして歩いていたのだ。
 私の郷里の田舎では、目ざす相手の娘にふられると、その若い衆が、
「あの娘には、穴がない」
 と、嫁入りの口に、さしをいれることがあったが、それをはるかにしのぐ仕打ちだった。(本文では さし に強調点が付いている)

(愛と憎しみ/暗い日曜日 より)

録音の技師の人やレコード会社の人が権力を持っていて、いろいろ大変な目に遭われています。

 

以下の戦時中のエピソードには、どこかいま(コロナの時代の自粛ムード)とも似た空気があります。

 戦争が思うように早く勝てないのにヒステリックになった「軍」は、まるでその原因が私達のおしゃれにでもあるかのように、マニキュアが赤すぎるの、ハイヒールは非国民的だの、黒いドレスはエロチックだのと、まるで下手な美容師みたいに、化粧や衣装にまで干渉し出した。
 道を行くと、だしぬけに、モンペをはいた婦人にビラをつきつけられる。
「ゼイタクは敵だ!」
 兵隊の叫喚に似た字体のビラだった。
(戦中戦後/牢獄と花束 より)

淡谷先生はいまで言う自粛警察のような一般女性に付け回されることがあったそうで、ある日銀座の資生堂の戸口で批判されたときに「これ私の戦闘準備なのよ、ゼイタクなどではありませんよ」と顔を突き出して言ったと書かれています。
ほかにも、モンペを履いて歌うんじゃ意味がないと感じてそれには屈しなかったり、さまざまな「歌い手」としての選択・落としどころにいたる葛藤の回想がたくさん書かれています。それがこの本の最大の魅力。


以下のエピソードなんて、読んだら泣いちゃいますよ。

 歌などというものは、どんなに権力で強制したところで、人人のほんとうの心の底にしみ込むものじゃない。
 みんなが哀しがっているのに、どんな勇ましい調子と歌詞でうたいはやしたって、勇ましくも何ともなりはしない。まして勇ましい軍歌をうたって戦争が勝てるものなら変なものだ。いくら宣伝しても、国民歌謡なんか、ちっとも流行らないし、軍歌も悲しくなる一方であった。

 自分達がまずい戦争を起しておいて、それがだんだん負けてくると、まるで喧嘩に負けて帰った親父が、腹いせに家へ帰って、女房子供を擲りつけるみたいに、みんながうたいたい歌、ききたい歌などをいじめつけているみたいなものだった。

 慰問にいっても、戦っている現地の兵隊さん達は、決して押しつけられる勇ましい軍歌などは歓迎しなかった。

 ブルースが禁止されてから、また私は上海へ慰問にやられて、東京の兵隊さん達の前でうたった時、タンゴやシャンソンを五十曲ぐらいもうたったが、兵隊さん達の方から、どうしても禁止されている「別れのブルース」と「雨のブルース」をうたえといってきかない。

 これ程までにいわれるものを、よしっ、罰をうけたって、かまうもんかと決心してうたい出したら、監視についていた将校さん達が、わざと居眠りを始めたくらいにして、見て見ぬ振りをしたり、スッと消えたりしてしまった。

 兵隊さん達は、ポロポロ涙を流してきいてくれた。うたいながら私も泣けてきた。

 終って廊下へ出ると、出て行ったはずの将校さん達が、やはり廊下できいていて泣いていた。

 いくら権力で圧迫しても、歌は生きていると、私はその時も、しみじみと感じた。(戦中戦後/弾圧されたブルース より)

そのルールには本質的に意味がないと思っていても、きまりだからといったんは思考停止したまま従う。そんなふうに判断疲れをしたまま、それでも感情は生きていた戦時中の人の様子が伝わってきます。

 

終盤の以下の吐露も、ずしーんと沁みます。

女ひとりが、ここまで生きてくるためには、私は私なりに武装も必要だった。いつもいつも、あけすけに、心のまま我侭一ぱいに振舞ってばかりいたわけでもなかった。力一ぱいの、その女の戦いの苦しさに、私はときどき、わーっと喚声をあげたくなることがある。
(この道ひとすじに/なつかしや故郷 より)

一冊通して読んでみるとわかるのですが、クラシックを歌うソプラノ歌手として有能だった人が流行歌を歌う決断をするだけで、音楽仲間からは芸術の道から外れていくという目で見られたり、よく自尊心を保ったな……と思う話ばかりです。

 

歌手として売れた時に上海へ行った経験をした淡谷先生が、戦争が始まってから慰安で上海へ行き、その変遷をみた経験が章を隔てて話されています。

時代に呑まれて上がったり下がったりした経験も、歌うことを通して語られると恨みっぽくないのがいい。

軽い気持ちで借りて読み始めたら、すっかりその世界に没入させられました。この時代の人の信念の持ちかたは、いま読むと考え方のヒントがたくさんあって、引き込まれます。

 

 

▼この装幀につられて読みました

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 ▼いまはこの本で同じ内容が読めるようです

淡谷のり子―わが放浪記 (人間の記録 (16))

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