おこられたり、おわびしたりしてすったもんだの愛知県観光記も、だんだんまともになってきました。今日はまともすぎて、自分で自分を褒めたい。そんなご報告です。
親鸞さんといえば、悪人正機説。わたしはこの考え方を知ったとき、自分を縛っているものが自分の中にあることをものすごくエグいところから掘り起こされたような気がして衝撃だったのですが(はじめての人にはこの本をおすすめします)、その教えに通じるエピソードの場面に出くわしました。
この場面、アツいんですよねぇ。
ぜひ現地で表情と文章から学んでほしいので、あんまり細かく解説したくない。浅野祥雲先生もそういう想いだったんじゃないかな。(でもいちおうリンクはつけておきます)
こんな顔までして、積まなければならない行って、なんなの?
ヨガの世界でも、よくある話。
向かいの人の表情がすごいので、なんだかクレーマーさんのお話を長々と聞いているような気分になりました。
前回の紹介にも書いたのですが、この像を作ったコンクリート彫刻家の浅野祥雲先生のシチュエーション設定は、いろいろニクい。
バガヴァッド・ギーターの田中嫺玉さんにも同じものを感じるのですが、「響かなければ、入ってこないよね」という考えかたに「磨き上げた芸」がからんでくると、最強。
うわなんかもう、こびりついて離れない! みたいなことが学びのきっかけになる。祥雲先生、たまんないなぁ。