うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

選挙期間中に、わたしの心の真ん中に響いた教え

選挙が終わりましたね。

わたしにとって、選挙とヨガはワンセット。

30年以上日本に住んでいるけれど帰化していない、選挙権のないインド人の先生のクラスでヨガを習い始めたので、選挙の日には会うと必ず「選挙行った?」と訊かれていました。

 

その先生は口が悪くわがままで電話魔だったけど、生徒の勤務時間や通勤時間を把握していて、その時間は避けられていました。

あんなにオレ流なのに、日本社会で働く人の秩序を妨害しないよう気をつけている。

その先生が生きていたら「ずっと日本人ファースト」と言っただろうし、その上でどんなところを突いてきただろう。

 

こんなふうに年長者の発言を思い出して「あの先生なら何を言ったかな」と思っても想像がつかない変化の時代を生きていく。

長く生きるってこういうことなんですね。

 

  *   *   *

 

さて。今日は先日の選挙の話です。

ここ数年の選挙は「この求心の手法は善意的か悪魔的か」という疑いの視点で見るべき要素が複雑化していて、精神的に負荷を強いられている実感があります。

羽織に半纏だけ着ていた人が、いつの間にか十二単を着なきゃいけなくなったような。

もっとシンプルに検討できないものだろうか、という負荷。

 

直感に訴えかける手法が勝つときの有権者の決断のきっかけは、十二単の中にある魅力的な色の組み合わせだったりする。

仕組みが複雑になるほど直情か直感か、という決断に流れる脳のキャパシティをハックされる状況にどう対応すればいいのか。

 

  *   *   *

 

こういう状況の中で助けになる教えがヨガの中にあります。

気まぐれな、あるいは歪んだ合理化によって気が散ったときには、特に別の視点について熟考し、そのような散漫さの障害を遠ざけたり取り除くための適切な策を講じるべきだ。

Swami VenkatesanandaThe Yoga Sutras of Patanjali233節)

元は英文で、日本語訳はDeepLに助けてもらった訳です。

 

  *   *   *

 

今回の選挙で見られた様々な党の主張・各項目の優先順位・その関連性について、聞けば聞くほど、読めば読むほど気が散る。

そんな状況の中でこの節が沁みました。

 

 

そして別の視点について熟考する策を講じながら、同時に自分の中にある以下を見ました。

 

 

  肌感として日々自分の中にある

  街で目にする外国人の増加・変化への反応が引き起こす

  「気まぐれな、あるいは歪んだ合理化」の思考

 

 

これまで自分がアジアの国で安くて居心地のいい場所を探して旅してきたことに対する複雑な気持ちが、思考全体を複雑化していました。

いったんそれを認めたら、それを横に置いておけるようになりました。

“わたしも悪いのか” という思考の根っこには、自分自身が断罪され排除されることへの恐れがあります。

これがあると、文章を読んでもそれがそのまま入ってこなくなる。

自己防衛のために歪んだ眼鏡の度数が強くなります。

 

  *   *   *

 

話はいったん変わるのですが、このネガティブな思考と根底が似ていると感じた出来事がありました。

先日友人とお茶をしていたときに、こんな話をしました。

 

「職場でワンクリック詐欺に引っかからないかテストされるメールが届くアレって、必要性は理解できるんだけど魂削られるよね」と。

あたかも職場の管理部門から監視され送られてきたかのようなメールに引っかからないかテストをされる、企業内のコンプライアンス意識教育の一環として行われているアレです。

「必要性はわかる、わかるんだけど、それやられちゃうと自分の中で奴隷感覚を培養するモードが発動しちゃうんだよね」と。

 

こういうときには、先に引用した解説の「特に別の視点について熟考する」の、「特に」の部分が効いてきます。

 

“情報流出を防ぐ管理部門の人” の視点で、就業者に奴隷感覚を抱かせるリスクなど百も承知の上で行なっているテストであろうことに思いを馳せる。

そうすると、グローバル化の中で揉まれながら積極的に行なっている予防策であることが理解できます。

 

そしてわたしにできる「心を平穏に保つ策」は、この友人との会話のように、いま目の前にいる市井の人と意識を交わすなどの策を講じて、その動揺をそこで終わりにすること。

怒りで共感するのではなく、動揺を終わりにする。

自分が断罪され排除されることへの恐れの思考を終わりにする。

 

このケース場合、怒りのほうは割とシンプルで、「試したのね!」という、恥の感情を抱かせられたことへの反応です。

 

  *   *   *

 

今日は長々と書きました。

ヨガはわたしにとって自分を鼓舞するものというより、滑り止めのように機能してくれるものです。

 

 

暑いので海の画像を添えてみました。