うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

浮雲 林芙美子 著

読んでいる最中も読んだ後も色とりどりの感情がうごめく。この臨場感はなんだろう。
「帰りさへすればいゝンだわ」「友達を紹介して行つてくれたンだけどさア」のような、セリフ内の「ン」の使いかたが絶妙で、主人公の「はすっぱ」な性質が逐一如実に描かれる。この「ン」は男性が使う場面では気安さや見栄の色を見せる。うまい。男性特有のちんけな虚栄心を「中学生のやうながんこさ」と表現する。
空間の描写も巧みで、読み手にまったく負担をかけずに部屋や暮らしぶりや台所事情を脳内で映像化させる。外国の都会、外国の田舎、日本の都会、日本の田舎、日本のド田舎の暮らしがすべてすーっと入ってくる。長編なのにあれよあれよと読まされてしまった。
これはどうにも魔術師的な手業だなと思いながら、この作家の書く小説のおもしろさを表現するには、きっとこのように伝えるのが最適解。

 


 もし西原理恵子の漫画の絵の部分だけを葛飾北斎が描いたら

 


西原理恵子先生は漫画家だから絵も西原理恵子先生でもちろんよいのだけど、「西原先生は女の生きざまを書く原作の力だけで十分すぎるんで、ここはひとつ原作に注力していただいて、絵の部分は葛飾北斎先生に依頼しましょう!」という夢の競演が実現化したような、そんな小説。小説なのに画力がすごい。
なぜ葛飾北斎なのかは読んでみたらすぐにわかります。持ち物やファッション、家具や間取り、食材や食事の量から健康状態まで、なにからなにまで、この時代の人ってこんな暮らしをしてたんだ…という情報が自然にたくさん入ってくるのです。しかもポップに。このラジオはこのくらいのサイズ感なんだろうな、というのが存在として体感的に浮かんでくる。


さらに、この物語のすごさはひどい。いや、ひどさがすごい。戦前戦後を捨て鉢な気持ちで生きている人たちのつながりが描かれているのだけど、せっぱ詰まった人をカモにする宗教団体も出てきて、組織化を進める人たちの論理もそれに便乗する人たちの生き方もぜんぶひどい。とっても、"ありそう" なひどさ。
それなのにただの恋愛ドラマ・人間ドラマという感覚で読み終えることができないのは、随所で描かれる人間のしぶとさがあまりにも "ありそう" だから。
どんなふうにありそうかというと、愛人が本妻をディスるセリフは、こう。

「唇の正面に金歯なンか入れてる奥さんとキッスするひとつて、ぞつとするわ……」

最高だ。
モチーフとして登場する「するめ」もいい。するめと哲学的な思索が同居した戦後の市井の知識人の日常がありありと浮かぶ。

人間の考へと云ふものは、何でも正確なものを欠いてゐる気がした。都合のいゝやうな事をうまく云ひたい為の行為だけが、人間の考へのなかの答へなのだと、ゆき子はするめを頬ばりながら、するめ臭い四囲の空気に、日本へ戻つてからの自分の勇気を味気なく考へてゐる。

戦争中はベトナムにいたキャリア・ウーマンが日本に帰ってきてから環境に染まっていく様子とその生活ギャップがきつい。その堕落が景色・食べ物・日用品の描写とともに展開するのだけど、このするめのように "臭い" の使いかたがうまくて憂鬱が体感で入ってくる。


ベトナムで知り合った男性も、負けず劣らず憂鬱。

みんな、大真面目に、悲劇をくりかへしてゐると思ひながら、人類をうるほすところの、人間の悲劇味は、何千年の昔から、何一つありはしなかつたのぢやないかと、うたぐつて来る。みんな、人間のやつてゐる事は、喜劇の連続だつた。心臆おくして、こそこそと喜劇のなかで、人間は生きる。正義をふりかざす事も喜劇。人間の善も悪もみな喜劇ならざるはない。涙の出るほどのをかし味のなかに、人間は、自分に合つた、尤も至極な理窟をつけて、生活をしてゐる。死のまぎはになつて、初めて、吻(ほ)つとして、あゝと、本当の溜息が出るものかも知れない。

こういう男性の戦争体験心理がもっと知られればいいのに。わたしはこの小説に登場する男性が自身の傲慢さをときに振り返りつつ、でもそれをやめられない、そういう弱さや苦しみの描きかたにリアリティを感じます。

 


女性が男性を見て魅かれるときの感覚は

その場かぎりの感情で、物事を切り裁いて行く男の強さが、ゆき子にはいまでは憎々しい程の魅力になつてもゐる

と書かれ、

女性が女性を見ていまあの人は強いと嫉妬の感情もなく思うときの感覚は

持参金つきの嫁のやうな、妙な気位

と書く。

切るに切れない家族の縁は

生活の中にかびのやうに養い込んでしまつてゐた

ですと! 精確すぎる。
他者に対するふわっとした意思のない印象感情とその土台にある不安をあまりにさりげないフレーズでどんどん書いていく。おいちょっとまていまの表現すごすぎるだろと何度もページを元に戻しながら、二度見二度見で四度見るような読書。

 
この小説を読むとほんとうに女性がモノとして扱われていて驚くのだけど、男性は自分が空っぽであることを自覚していて、その隙間を埋める存在として女性というモノを集めてる。

この小説は日本映画に詳しい友人から教えてもらって読んだのだけど、こりゃ映画も観てみるかな。

 

浮雲

浮雲