ほんとうに小さいときから考えてきたことが書かれていて、自分の価値観や性質に正直であろうと心がけて生きてきた人なんだな、ということがすごく伝わってくるエッセイです。
なかにし礼さんが巻末の対談で絶賛している『赤い松葉杖』という話がわたしもとても印象深く、自分だけが呑気に生きている気がしたり、自分の元気そうな姿を見せたらつい最近まで同じように苦しんでいる仲間だった友人を刺激してしまうだろうと考える、そういう幼い頃の正直な葛藤が書かれています。
大人になると、今の時代はさらに高度なメンタル・コントロールをすすめられてしまいます。たとえばこんなふうに。
以下は日本でよく売れた本『フランス人は10着しか服を持たない』の第11章からの引用です。
相手に気兼ねして、自分を変に卑下するのはやめよう。あなたの人生がうまく行っているときには、あなたほど幸運ではない人に対して気兼ねするあまり、「何もかもうまく行っているわけじゃないのよ」と言いたい気分になるかもしれない。たとえば、「1ヶ月前に女友だちとケンカしちゃって……」なんて打ち明けて、相手の暗いムードに合わせてみるとか。そういうのはやめよう。相手が暗いからって、こちらまで一緒に暗くなる必要はない。相手がつらい思いをしているのなら、必要なのは力になることだ。
相手の暗いムードを感じるのは自分のなかで起こること。わたしはまずそこで葛藤します。相手への気兼ね以前のところで固まってしまう。
黒柳徹子さんのエッセイ『赤い松葉杖』は、こういう気持ちを文章化したもので、5歳の女の子の心が書かれています。慈悲の葛藤が書かれています。
大人になると、慈悲の葛藤からひとまず解放されるためのテクニックを得ていきます。
そのひとつが自己卑下で、わたしはこのテクニックに頼ることと、近年よく耳にする「自己肯定感」とやらは全く無関係だと思っています。
なので、この黒柳徹子さんのこのエッセイを読んだときに涙が出ました。
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この本は、たまたま通りがかった古本屋で購入しました。
わたしにとって古本屋さんは期限に追われない図書館。なので手元に残さないものはすぐに売ってしまうのですが、この本は手元に残しています。題字が和田誠さんで、イラストがいわさきちひろさんです。
手元に残したかったのにはもうひとつ大きな理由があって、それは27歳のチェーホフが29歳の兄に向けて書いた手紙の引用が掲載されているから。この手紙の文章が素晴らしくて。
こんな言葉からはじまる手紙です。
あなたはよく僕に「人が自分を理解してくれない!」といってこぼしますね。
最後まで読むと、ふて腐れながら生きている酒浸りのお兄さんの姿が見えてくるのだけど、チェーホフのユーモアと内容の充実度のバランスが最高で、人との関わりかたを教えてくれる名文です。
このチェーホフに似た強さが、わたしが小さい頃からベストテンの司会をしていた黒柳徹子さんにも同じくある。その謎のルーツを明かされた気がしながら読みました。
過去の自分を責める視点に一貫性があるのも、この本を印象深くさせる大きな要素です。
こんなことが書かれていました。
私は戦時中、駅で兵隊さんを見送ったことが忘れられない。自由が丘の駅で、出征する兵隊さんを見送りにいくと、スルメの焼いた細いのを一本もらえた。もう、その頃は、たべるものが全くなかったし、それまでたべたことのないスルメの味は魅力だった。私は、せっせと、日の丸の小旗を振っては、「万歳! 万歳!」と大人にまじって声を出した。そして、スルメを一本もらった。その見送った兵隊さんたちの、何人が生きて帰って来られたのだろうか。たったスルメ一本のために、子どもだったとはいえ、何も考えずに旗を振って見送った私を、私は許せないでいる。
(チャイルド・ソルジャー より)
時代のせいにも当時の大人のせいにもせず、大人に混じってそれをやったのは自分だという自覚がある。
子どもだからといって自分を棚上げできないことこそが、子どもの純粋性。その視点だけは絶対に外さない。
このエッセイは60歳くらいの頃に書かれたもの。
ずっと自分の心根にあるエネルギーを見つめながら、なるべくそこから離れないように、それを大切にしながら生きている様子が伝わってくる文章でした。