うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

コンプラ的にアウトな感じでズケズケと。

 「あなたどうしてた? 元気だった? 結婚した?」

 

 矢継ぎ早にズケズケ訊かれてうれしかった。コンプラ的にアウトな感じで踏み込まれて気持ちよかった。なんならもっとちょうだいと思いながら「結婚はしていませんが、わたしが大切にしたい優先順位を守りながら生活できています」と答えた自分の野暮ったさにギョッとする。子役がそのまま行かず後家になったようなこのダサさはなんだ。

こういう会話はこう終わるようにできているのか。

 

 

 「あなたどうしてた? 元気だった? 結婚した?」

 

 「えー。してませんよー。なんでですか?」

 

 「いや、なんか声が明るいから」

 

 

 

 相手がかつての職場の先輩であれば、こんな感じになるだろう。

きっとわたしの声が少し明るかったのだ。わたしの人生がはじまる。そんな気持ちがゼロではなかったから。プライベートに踏み込んでズケズケ訊いてくるSさんはわたしの精神の保護者で、彼女は夫の暴力から娘とふたりで逃げてきた身の上だ。

 

 

 彼女とはじめて会ってから、もう10年近くになる。

父の他界の報告と当時のお礼を言いたくて電話をしたら、先に電話に出たSさんの娘さんが「母はいま席を外しておりますが、わたしもUさんを知っています」と話しかけてくれた。

しばらく後にわたしは娘さんとも話したいことがたくさんあることに気がついたけれど、そのときは思いつかなかった。一般的に「お父様」という敬称を使う場面で娘さんはそれをしなかった。その正直さがうれしかった。

 

 

 Sさん母娘はわたしの父が最初に入居した施設で働いている。父はそこでも朝から酒を飲み、数年で退去を命じられた。

わたしは経験豊富なSさんの判断に身を委ねることで、それまで考えたこともなかった社会概念に従った行動で安全な生活を手に入れることができた。

” 珍しくないほんとうのこと” を見てきた人が、珍しくないことだからこそ助言をくれたのだとしたら、それはまぎれもなく慈悲だ。彼女たちのように人知れず徳を積んでいる人がいる。語られない物語がこの世にはたくさんある。

 

 

 語られた瞬間に種明かしになってしまうから絶対に明かせないなんて、まるで口伝の秘儀のようだ。本気のストーカー対策をストーカーに知られてはいけない。だからこういうことは密教化する。

 

 

 

 「あなたどうしてた? 元気だった? 結婚した?」

 

 

 

 これはまったく失礼な質問ではない。結婚してなくてすみませんとも思わない。これは ”生きろ” の言い換えのひとつだ。

あのとき彼女は自分の娘さんに言いたいことをわたしに言ったのだろう。よその家の人間になれば安全性の確率が上がる。彼女はそう考えて娘の幸福を願っているのだ。

わたしにはそれがわかる。

 

 

 

(この話は身近なフィクションです)