うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ユーチューバー 村上龍 著

友人がネット上にこの本の感想をアップしているのを読み、わたしも読んでみました。

この作家の小説を読むのは初めてです。ずっと前からなにか物語を読んでみたいと思っていて、題材がYoutubeなので、これならわたしにも読めそうだと思いました。

もともと「Ryu's Bar」「カンブリア宮殿」のイメージが強かった人なので、読んでみたら全然モードが違う印象を受けました。まあそりゃそうなんですよね。

テレビで見るほうが何十倍も謙虚で世界の未来について考えている人物と感じられるのは多くの作家の共通点で、毎度といえば毎度なのだけど、そのくらい文字列から人は勝手に人物像をこしらえるし、人の頭の中はそのくらい自由でワイルドってことでもある。

 

 

この小説は自分のことを「世界一もてない男」だと思っているアラフォー男性と、24歳で芥川賞を獲った70歳の作家と、その作家と親しい女性のやりとりが中心。その中に設定として Youtube があって、4編の最初と最後の話が Youtube と深く関わっています。

70歳の作家は自分が他人から憧れられていることを自認していて、とても気持ちよさそうに昔話をします。尊敬の眼で見つめられながらのびのび話す作家の言葉に呑まれているうちに、歳を重ねるってこういうことなの? という疑問のような怖れのような感情が自分の中で立ち昇りました。

「四十歳か。若いのかな。若くないかも知れないな。ぼくは二十四歳でデビューしたからな。今の人は、二十四歳というと、まだ子どもだもんな。なんでこういう世の中になったのかな。わからないな」

(ユーチューバー より)

 

「なんでこういう世の中になったのかな」って当たり前に言うところが、なんか正直。

あの社会問題もこのSDGsも無駄に盛り込まない。自分の視界に入るべく自分に合わせてきた相手にしか応対しない大御所作家の脳内世界が、なんか懐かしい。

もてないアラフォー男もわたしと同じことを考えています。

 この存在感が欲しいんだけどな、とわたしは思う。

 

 

その存在感を持つ作家が、”自分圏内” に居てくれる女性の前では相手の語調に合わせて頭の中で「とか」を多用するのが、なんかかわいい。この “なんかかわいい” があるから孤立しないんだろうな。

 

 

4つの物語のなかの『ディスカバリー』だけ、始まりの視点が女性です。その中でも結局作家が饒舌で字数をどんどん食っていって・・・。

「つまみ」でなく「おつまみ」と書かれるところで、そう言えば女性の視点で始まった話だったなと思い出す。そのくらい、もうとにかく喋りたいおじさんの独壇場。

その喋りたいおじさんが、アメリカの海兵隊のおじいさんたちの話をする場面がよくて、「仲間がいたから」「仲間がすべてだった」「仲間と、毎年集まるんだ」と言っている元米兵に対してこんなツッコミの感情があることを話します。

おれは言いたくなるんだよ、仲間の話はわかったから、なぜ、そういう場所で激戦と戦ったのかを考えてみたほうがいいってね。

 

この「仲間」という言葉の持つ磁力と逃げ場としての利便性について、わたしはずっと年長男性に突っ込んでもらいたい思いがあったのです。こういうツッコミが一つあるだけで、あと2時間は全く苦にならずにこのおじさんの話を聞ける。

 

この小説はユーチューバーを徹底的に傍観者にしているのがいい。

そう。こっちにおもねってくれなくていい。存在感があればいい。

成功するユーチューバーにあるものも、結局それだもの。