先輩の訃報を聞いた。
その人とは年齢が近く、いちばん記憶しているのは、電車で一緒に帰った時に話したときの雰囲気。
ふわっとやさしい話しかたをする人で、抱えているものは熱く、特に30代終盤から強い行動の選択をされていたように思う。
わたしがその人と同じ組織で時を過ごしたのは30代半ばの頃で、きゃっきゃとした間柄ではなかった。
同じ場所にいても見ている世界が違うと、ずっとそう思っていた。
同じ人生の選択をしても判断の背景は違うから、それだけで安易に結託できるわけじゃないと当時のわたしは思っていて、その人がひとりになる決断をして心を再構築しているときに、わたしに向けて伸ばされた意識の矢印を受け止めることができなかった。近くにいたのに。
話の前後関係は忘れてしまったけれど、あのとき彼女は突然「うっちーも結婚してたことがあったって、知らなかった」と言った。彼女はわたしをそう呼んでいた。わたしは彼女に自分の話をあまりしたことがなかったから、共通の友人の誰かから聞いたらしかった。
そのとき乗っていた東急大井町線の車内の中の感じを、車両の幅と照明の明るさと人の混み具合を妙に記憶している。
よくよく考えたら、彼女も軽々と自己開示をしない人だった。だからあのときは、わたしがもう少し自分の心のなかの出来事を話せればよかった。
“同じ人生の選択をしても判断の背景は違うから、それだけで安易に結託できるわけじゃない” という思考の鎧を脱ぐことができなかった。
彼女はわたしから見て、アーサナがとんでもなくすごい大先輩だったから、突然そんな話をされて後輩モードを剥がすタイミングを見誤った。というのは、ずるい言い訳だ。
そういうことじゃなくて、経験を抽象化して話しながら溶け合える部分を探っていく、そういうコミュニケーションのやり方があることすら、当時はわかっていなかった。
軽々と自己開示をしないその人が、遠く離れた国に住んで病の秘密を守っていたのは、わたしから見てまったく意外性がない。
共通の知人が何人かいる。この話を誰ともしていない。
こういうことは、ここ数年であまり珍しくないことになってきた。
生きた年数を重ねていけばそうなっていくのはわかっていたことだけど、こういうことがあると、漠然と悲しい。
"漠然" であることが悲しい。
いまわたしは息をしながら、無自覚に生を味わっている。
とらえどころのない喪失感が消えていくのには時間がかかる。
呼吸の回数を重ねていくしかない。
昨年の今日、わたしたちの先生が亡くなったときも、彼女はわたしとはまったく違う角度から人生や命のことを見ていたのだろう。シリアスが毒になる瞬間を熟知した、ユーモアを忘れない心意気を、そのときはじめて知った。
片脚のポーズでまったくブレない、小さな声で話す、たくましい小鳥のよう人だった。