うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「読みやすい本」「本が読めない」という、よく聞くフレーズや心情について

もう10年近く前のこと。当時本が読めなかったわたしはもちろん長い小説など読めず、それでもヨガやインドなど興味のある分野の本なら読めるようになってきて、たまに本を貸してくださるかたがいました。

わたしは本の感想をここ(ブログ)に書いているので、お返しするときに「書きました」と伝えつつ印象をかいつまんでお話しするのですが、あるとき本を貸してくれたかたが、『本を貸しても「うん、読みやすかった」というリアクションしか返ってこないことがある』という話をされていて、わたしの場合は【興味がある・ない】が先に立つために【読みやすい・読みにくい】という感覚がないんだな…と思い、当時からこの思いをそのままにしてきました。「うん、読みやすかった」の意味がずっとわからなくて。


【読みやすい・読みにくい】は、翻訳に対してはわかります。現代語に近いほうが読みやすい。でも母語(日本語)で書かれているものについてはすべて「ターゲットに刺さりやすいか」というふうにしか見ないというか、それ以外の見かたが自分の中にありませんでした。だって日本人が日本語で話しかけるんだから、読む相手のこと想定して語調もデザインも選ぶんでしょうよ、くらいにしか思っていなかった。


でも、最近わかったんです。よく使われる「読みやすい」の意味が。これはわたしの中では大発見だったのですが、一般的にはとくに説明するまでのことでもないことかもしれません。
今日は、わたしが10年以上かかってやっと理解した「読みやすさ」について書きます。

 

読みやすい = 整備されたマラソン大会

読了することとをゴールとしたときに、給水ポイントの間隔、ドリンクの種類、道の平坦さ、そういう整備の総合力と捉えるとすごくわかるのです。
回数をこなして進化したマラソン大会のよう。わりと大きめのマラソン大会って、プロデューサーがいるんです。だから本も同じように編集者と言われる人がプロデューサーのような働きをしている。そう考えると「読みやすさもあって売れた」という本のありようも理解できる。

 

絶景なので整備が悪くても参加したい大会

そりゃこんな山の中じゃあ給水ポイントに人を配置するのも大変だわな! というような、そういう大会のような本もある。
環境設定を自分でカバーすべくお水やお菓子を持って走るトレイル・ランなどもちょっとこの要素があるかと思います。読みにくいんだけどその読みにくさの途中にある景色はやっぱりこの本にしかないのだし! という読書って、けっこうある。
ぱっと思い浮かぶところでいうと、わたしにとって山本七平さんの本や長編小説がこの種の大会と似ています。

 

いま話題のスポットを走る

ぱっといい例が思い浮かばないけれど、東京スカイツリー・マラソンとかそういう、どーんとできたで!いまこれ見たいだろ!見においで~! みたいな大会は、芥川賞の小説や有名人の書いた本を読む感覚と似ています。

 

距離・コース・参加賞など、条件が合うから参加する

小説がコンスタントに読めるようになったのは、わたしのなかで「距離とコースと参加賞」のバランスを自分で感覚的に理解できるようになってから。テーマの好き嫌いに関係なく読了自体はできる、そういう基礎走力のようなものができてくると、選ぶことも楽しめる余裕が出てくる。最近そんなことを思います。

 

誘われて参加する大会もある

わたしにとっては友人・知人が貸してくれたり勧めてくれた本がまさにそう。直近で読んだものでいうと、以下がそれです。

超一流主義 斎藤澪奈子 著

世にも奇妙なマラソン大会 高野秀行 著

地球星人 村田沙耶香 著

 

 

「読みやすい本」とは

週に何度か3キロ走れるようになった人がはじめて参加するマラソン大会はどれかな…というふうに考えると、距離・アップダウン・道の平坦さ・給水ポイント・制限時間・景色のバリエーションをトータルで見る。その人が楽しく完走できそうなものを探します。
本も、長さ・日本語の語彙の幅・文章の滑らかさ・章立てや構成・登場人物や実験・調査の数・展開…などなどの全体のバランスで自分にとっての読みやすさは決まる。
「沿道の応援があたたかい」という情緒的な理由でアンバランスの要素を全部帳消しに感じられる人がいるのと同様に「ラストで号泣必至」という誘いで読めちゃう人がいるのも、よく似た感じだなと思います。
要するに、参加しやすさなんじゃないか。「読みやすかった=読む行為に参加しやすかった」なのではないか。そう考えると、それが頻出フレーズになるのもわかる。

 

 

「本が読めない」とは

歩くことはできるけどマラソンをしない人がたくさんいるように、文字は読めるけれど本は読まない。これは、ごくごく普通のこと。たまに「うちこさんはたくさん本を読んでいますね。わたしは本がなかなか読めなくて…」というかたがいらっしゃるのですが、移動をするのに走る必要がないように、べつに読む必要がないからなんじゃないかなと思うことがあります。
先日、本をたくさん読んでいる人に「本て、たくさん読んでもべつに頭がよくなるわけじゃないよね」と聞いてみたら「そうだけど、語彙力に関しては読書からだと思う」と言われました。たしかに筋力に相当するものが語彙力かもしれません。本をたくさん読んでいても文章を組み立てられない人は多いので、書くとなるとまた別だと思うのですが。

 

 

いずれにしても、バスや電車も車もあるし…という感じで、自分の脚で走る必要がマストでないのと同じ。読んだ人という状態になりたいけれど、読むのは面倒。3駅ぶんも歩くのは面倒、というのと同じと思えば、まあ疲れることではあるからね…と思います。