うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

地球星人 村田沙耶香 著

友人が家に置いていってくれた本を、寝苦しい夏の夜にいっき読みしました。
これは異常な状況だと思ったときに幽体離脱を試みる主人公の気持ちとその後の人生を追いながら、ひとつ思い出すことがありました。
わたしは10代の頃に電車で痴漢に遭ったことがあるのですが、その痴漢にされたことの触感(背面から押し付けられる)と同じものを、恋人とのいちゃつきでも知覚したとき、いってみればタッチポイントの皮膚感覚はこちらとしてみれば大差ない。こういうのって自分のなかでどう分類したらいいのだろう…と思ったことがありました。
「はい恋愛という設定で!」という事前承諾めいたものがあるだけで、わたしが道具であることは変わらない。そんなふうに思ったときのことを思い出しました。

 

この小説の前半はこんなレベルではない。それはもうとんでもなく過酷な少女ライフ。ミッションは「いきのびる」こと。6章の主人公のセリフの前半と後半の接続が苦しい。この論理、苦しい…。

「でも、私たちの身体は、私たちのものじゃなくて世界のものだから。私たちは世界の道具だから、交尾しないと迫害されるのよ」

「迫害」についてはあまり掘り下げられていない。「コンビニ人間」では主人公の女性に彼氏ができたと知った瞬間に、いままで心配していたことを遠慮なく前面に出してくる人たちが強く印象に残ったけれど、この小説で「仲良し」というフレーズを使って行われる場面のそれは、んー、まあでも迫害か。


こういうのは気合とか根性じゃ無理だからって「恥」の概念で社会から詰められたところで、湧いてこないものは、こない。こういう人が実はたくさんいるから、この作家の本は読まれるのだろうな。


もしこの小説が人間の健康的な性を描かずに終わったら、社会に対してふて腐れてる人々を慰めておしまいに見える小説だけど、なんとそこもちゃんと書いているのがすごい。きっとカルトってこうやって生まれるんろうなと思わせつつ、これならカルトが生まれるのも自然だ思わせる。長野の話なので、山で大麻を育ててハッピーライフを送っているコミューンを想起した。

 

地球星人

地球星人

 

▼この本の世界もふわっと同時に思い出しました