うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

都会で感じる孤独と、山の中で感じる孤独


ネット社会になっていろいろな大会に出やすくなったのはよいのだけど、大会のFacebookページでバンバン写真がシェアされるようになると、「あの日あの時あの場所で君と会って走っていた情報」なども調べればわかってしまったりするので、もう詳細は書けなくなってきたマラソン大会。ここには書かなくなりましたが、相変わらずたまに出場しています。
海沿いの大会は景色はよいのですが横風になるとけっこうしんどく、近ごろは山の中を走るのが好きです。
今日は、あんな大会やこんな大会で走った景色を羅列しながら、走ることについて語るときに私の語ることをつぶやきます。


わたしはゆっくり走るので、すぐにこのような独走状態になります。





なんでわざわざ、お金さ払って走るんだぁ〜? と、村人に話しかけられたらどうしよう、などと妄想しながら走るのもまた一興。





これは、ほんとうに大会なのですか? わたしひとりの脳内妄想大会なのではないですか? という気分になるこのマイルドな不安がすき。





山の景色というのはどこも似ているのだけど、よく思い出すのは比叡山。でもここは比叡山ではない。







数秒、数分単位で変わる山の天気に、「まるでわたしの心のようだわ」などと乙女チックな気分になりつつ、たくましく走る。太もも上部の筋肉で吊り上げて踏み出すくらいのパワーでないと、ちっとも進まない。





秋は、山もアンニュイなのがいい。





いまは、世界にわたしひとり。みたいな気分になる。
枯葉を踏むたびに、脳内でいとうあさこさんの「生きてる!」という声が一瞬鳴る。





たいへん律儀そうな田んぼを少し離れて見て走る。





山は、数分走るといきなりこの世の終わりのような景色になったりするのがおもしろい。


都会で感じる孤独と山の中で感じる孤独はまったく違う。
たまに、余計なことを考える余裕もなくなるところまで自分を追い込んで、「無」とか「空」を確認しに行きたくなるのだけど、そんなときにトレイル・ランは最高。でもほんとうにひとりきりでは、きっと走らない。


ラソン大会に出ると、走って感じる世界をとことん楽しみ、イキイキとしておられる人々の会話を聞くことができます。走って山登りして下ってくるような大会だと特に。この人たちは、なんなのだろう…と思うけど、わたしもその中にいるという事態がまた妙でもあったりします。
山の中のマラソン大会でぽっつーんと置いていかれてひとりで走っている時間は、すごく贅沢なことをしている気分になります。実行委員の人たちに残業が発生すると心苦しいので、制限時間は気にしながら走っています。