うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

占星術師たちのインド ― 暦と占いの文化 矢野道雄 著

書き写しだすと止まらないほどおもしろい「チャラカ・サンヒター」(インドの医学書)の訳者さんの書かれた本です。インドでは盛んな占いについての本。
インドは言語もたくさんあるけれど暦もたくさんあって、伝統的な暦を発行する人に対しては先祖代々受け継いできた金儲けを続けたいだけだろうという批判的な見方をする人もいるそうです。

わたしはインドの古い書物を読むと昔の人の苦悩が見えてニヤニヤしてしまうことがよくあるのですが、悩みすぎてあんなに瞑想を開発した人たちの頭の中はやっぱりおもしろい。そして悩みのレベルがめちゃくちゃ原始的! 占星術師のマニュアルに記載されている身体の相を見る方法のなかに盗人を言い当てるものがあって、その対象が家族や兄弟の妻や召使いなど、身内が多いのです。そこに、著者のこんな解説が加えられています。

 この列挙を見ると昔からインド人は泥棒に悩まされ、そのたびに身内を疑っていたことがよくわかる。妻や先生まで疑いの対象になるところも徹底していておもしろいが、「父」というのがないところもインドらしい。
(124ページ 占星術師のマニュアル より)

解説を読んでからよく見ると、たしかに父だけない。

 


ハタ・ヨーガの教典には、学ぶ者の態度はこうでなければならない、グルの資質はこうでなければならないというようなことが具体的にたくさん書かれています。わたしはそういう記述を読むのが大好きなのですが、この本は「占い師たるもの、こうでなければならない」と書かれているものが紹介されていて、これがまたおもしろい…。

 神にとりつかれたふりをして、神像からの託宣を装って予言を発するような人物にものを尋ねてはいけない。そんな男は真の占星術師ではない。
(115ページ ヴァラーハミヒラ『大集成』2.15節紹介)

占い師の資質の記述はおもしろそうだな…。

ちなみに「チャラカ・サンヒター」の以下も、なかなかの断言ぷりです。

生業のために医者をしておりながら医者であるとの誇りでふくれ上がり、馬鹿でありながら賢げにしている連中を、賢明なる患者は避けるべきである。げに彼らは空気でふくれ上がった蛇(と同様)である。

(29-12)

 


ほかにも、ハタ・ヨーガの教典を読んでいるときに参考になる内容がたくさんありました。いちばん読んでよかったのは「単位」の説明の箇所です。ハタ・ヨーガの教典にはこの状態でどのくらいキープする(呼吸とか瞑想とか)という時間の単位を「ガティカ」と記載してあって、訳の本では2時間などと変換した結果だけが書かれているのですが、この本でその割り算の仕方がわかりました。

占いでもっともよく用いられるのは「ムフールタ」という単位である。これは一日を三○等分したものである。いっぽう一日を六○に分割する「ガティカー」という単位があり、これは「瓶」の意味の「ガタ」という単語の派生語であって、水時計と関係がある。
(105ページ ティティ、カラナ、ムフールタ より)

1ガティカーが0.4時間だから24分。3ガティカーこの呼吸法をやれといわれたら72分か~、どっひゃー! というふうに今後は読める。「ゴーラクシャ・シャタカム」では瞑想をキープする練習時間について同じ24分で掛け算する単位がナディと記載されていました。これはなにかの「管」や「路」由来なのかな…。

 


サンスクリットについての興味深いこともたくさん書かれています。ウパニシャッドに熟眠位・夢眠位・覚醒位などの話が出てきますが、言葉としてないものがあると。

 おもしろいことにサンスクリットでは、覚醒と睡眠の区別ははっきりしているが、「睡眠」と「夢」を明瞭に区別する言葉はなく、どちらも「スヴァプナ」という語で表される。日本語では「夢を見る」というが、サンスクリットでは「スヴァプナを」見るという表現はなく、「スヴァプナ(眠り=夢)において」何かを見るのである。その見られるものは「スヴァプナ」ではない。
(88ページ 夢占い より)

日本語で悪夢といったりするようなものも、サンスクリットでは「悪い眠りでもたらされるもの」になると。熟眠位・夢眠位というように「位=~の状態」としか訳しようがない感じの原語なのだろうなと推測して読んではいたけれど、こういうことなんですね。

 


口伝の知識伝承とサンスクリットについての記述も再確認するように読みました。

 サンスクリットは古代インドの文章語であり、紀元前四世紀ごろ天才文法家パーニニによって文法規範が確立されたころにはすでに口語から離れていた。以来およそニ四○○年の間に民衆の言葉は多岐に分かれていったが、サンスクリットはインドの学者の共通言語として生き続けてきた。
(72ページ 生きているサンスクリット より)

 インドでは昔から専門的な学術書は韻文で書かれ、読まれるというよりも暗唱されていた。数学書天文学書も例外ではない。複雑な天文計算のアルゴリズムも、無味乾燥な数表もこのように美しく唱われていたのである。
(74ページ 生きているサンスクリット より)

「まーるかいてちょん♪」という暗唱でほとんどの日本人がどーりもーん(ドラえもん、のインド発音)を描けることと似ているだろうか。ちがうか。
ヨガの本だけ読んでいてもわからないことがとてもわかりやすく解説されていて、読んでいるとわくわくします。

占星術師たちのインド―暦と占いの文化 (中公新書 (1084))

占星術師たちのインド―暦と占いの文化 (中公新書 (1084))