うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

サンスクリット語・その形と心 上村勝彦・風間喜代三 著


インドで買ってきたローマナイズのない本を無理やりデーヴァナーガリー文字から読むときに、いつも机に置いている本です。
文法の本なのですが、横道にそれるコラムが入っていて、「ラーマーヤナインドネシア版はこうなっている」なんて話も書いてあります。
なんにせよ、この本はタイトルがすばらしい。分解できるようになるとわかるのですが、サンスクリット語は楽譜の発明に近いといってよいのではないかと思うほど「音」と「形」と「ノリ」が一体化したもので、むずかしいのだけどおもしろい。そのおもしろさがこのタイトルに込められているように思います。
このブログを読んでいる人のなかにはサンスクリット語を勉強している人もいるかもしれないので、文法解説以外にこんなことが書いてありますよ、というのを少し紹介します。

<271ページ パーニニの文法 より>
 パーニニは自分が話していることばをもとに文法の規則をまとめた。パーニニが生きていたのは、われわれの知るヴェーダ語がサンスクリットに移行していく時期にあたっていた。だからパーニニは、bhasayam「口語では」とか、chandasi「ヴェーダ語では」といった用語を使ってそのちがいに言及している。

パーニニ(文法学者)自体のことについてはほとんど知ることがなかったので、このように説明があるとありがたいです。


<284ページ ヴェーダの文学 より>
 ヴェーダ(veda)とは、「知る」という意味の動詞語根 vid- から作られた名詞で、知識、とりわけ宗教的知識を意味し、その知識を説くバラモン教聖典の総称となった。ヴェーダはシュルティ(天啓聖典)と呼ばれ、誰か特定の人が作ったものとは考えられていなかった。シュルティ(sruti)とは「聞くこと」という意味で、詩的な霊感(dhi)をそなえたリシ(rsi)またはカヴィ(kavi)と呼ばれる聖者が、超越的な状態で真実のことばを聞き取ったものである。いわば永遠のことばが自ずから顕現し、リシまたはカヴィは、それをなかば無意識的にヴェーダ聖典の形にしたとすることができよう。つまり、自ずとひらめき出ることばを「聞く」、すなわち感得する能力に恵まれた詩人がリシでありカヴィである。カヴィという語は、後代にはもっぱら詩人を意味するようになる。詩人の場合でも、詩的な言語がひらめき出るのである。こうして、霊感をそなえた聖者が同時に創造力に恵まれた卓越した詩人でもあるとするのがインド文学の伝統となった。

ヨーガ・スートラ、サーンキヤ・カーリカー、チャラカ・サンヒターなどで、正しい知識を認める方法のなかに「直接知覚」「類推」以外に定めているものがあって(参考)、それは「信頼されるべきことば」「能力ある人のことば」「伝承」と訳されるニュアンスで「agama」「aptavacanam」として登場します。その背景としての「能力」の部分を掘り下げて説明してくださっています。


<297ページ ダルマとアラタとカーマの論書 より>
 ヒンドゥー教徒の人生の三大目的は、ダルマ(dharma, 宗教的・社会的義務)とアルタ(artha, 実利)とカーマ(kama, 享楽)である。

(中略)

 ダルマは「法」と漢語訳されるが、ヒンドゥー教徒の守るべき宗教的・社会的な義務、または価値基準のことである。

わたしはインド人のヨガ講師がちゃっかり実利的だと「さすがインド人!」と、ますます尊敬しちゃいます。義理・人情・浪花節だと、むしろヒく。


<301ページ シヴァ教とヴィシュヌ教の文献 より>
 ヒンドゥー教における三大神は、ブラフマー梵天)とシヴァとヴィシュヌである。そのうち、ブラフマーを信仰する宗派は顕著でなく、シヴァ教とヴィシュヌ教とが二大流派を形成した。シヴァ教としては、カシミールのシヴァ派、南インドのシヴァ教典派、パーシュパタ派、シャークタ派がとりわけ有力だった。そしてヴィシュヌ教としては、バーガヴァタ派がとりわけ有力だった。
 シャークタ派の根本経典の多くがタントラと呼ばれることから、それらの文献をタントラ tantra と総称し、性的儀礼などを行う秘密の教えをタントリズムと称する。この考え方に異論を唱え、5世紀以後に成立し発展したヒンドゥー教聖典で、神が直接語る形式のものをタントラ文献と呼ぶのが適当であるとする説もある、現存の文献は、古いものでも7、8世紀頃の作と推定されている。

このへんのことをもっと知りたい人には「愛欲の精神史1 性愛のインド」(山折哲雄 著)がおすすめです。


わりと本気で学ぶモードの人向けの、ハードカバーの小説の1.2倍くらいの大きさの本ですが、サンスクリットは文字も形も大きな文字じゃないとしんどいくらいややこしいので、このサイズで助かっています(わたしの目の老化の問題かも知れぬが…)。