うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インド数学の発想 IT大国の源流をたどる 矢野道雄 著

少し前に読んだ「占星術師たちのインド」がすごくおもしろかったので、こちらも読んでみました。2011年の本なので、中に書いてあるインドのことも古い情報ではありません。
この本は「数字」について多くのことが書かれています。ハタ・ヨーガの教典を複数読んでいると出てくるおなじみの数字というのがあって、例えばアーサナについては「シヴァは840万のアーサナを数えあげたが要約して84にしといたった。んでもってさらに要約したよ、3つに」みたいなことが書いてあります。わたしはヨガクラスでアーサナをとるのに手こずってちょっとおかしな体位で固まっている人がいても「だいじょうぶ! ゆっくりついてきて。シヴァは840万ものアーサナを数えあげたらしいから、きっとその状態もひとつにカウントされてる」などと言ったりするのですが、とにかく盛るんですよね。数字。
そのことについても、書いてありました。

インド人が巨大な数を好んで用いたことはよく知られているが、そのはじまりは『リグ・ヴェーダ』よりほんの少し後のことのようだ。

(52ページ)

やっぱり! クリシュナの妻の人数、1万6千人とか異常だと思うんです。
▼まえに書きました


三苦や三界や三神や三要素(トリグナ)など…3が多いことはヨガクラスでたまに話すのですが、リグ・ヴェーダも原語で読むと以下のようなことがわかるようです。(引用部分はすべてが漢数字だと読みにくいので数字に書き換えています)

リグ・ヴェーダ』では、「33」と「99」が様々な表現形式で用いられている。しかも33は「3と30」のほかに、「11の3倍」と表現されている。99は「9と90」と表現されており、わたしが期待していたような「100-1(100マイナス1)」という言い方の用例はない。33はこの時代から神々の数として重要であったようだ。これは三の倍数であるところに意味がありそうだ。その三倍が99であるから、やはり基本的に「三」が特別な意味をもっていたように思われる。これは次節で述べる『マハーバーラタ』に受け継がれている。『マハーバーラタ』では「聖数」の域にまで高められる「18」も「108」も、『リグ・ヴェーダ』には用例がない。
(50ページ 『リグ・ヴェーダ』の数詞 ── 十進法のはじまり より)

ほー!

 

さらに、マハーバーラタに18が多いという話がとても興味深かったです。

 まず『マハーバーラタ』という長大な物語は全体で18巻からなっている。またこの物語の一部をなし、ヒンドゥー教聖典となった『バガヴァッド・ギーター』は18章からなっている。
 この物語の中心は骨肉争う戦争であるが、これは18日間続く。
 大戦争のはじまりを告げる「最初の巻」(アーディ・パルヴァン)の2.19~20によると、戦争に終結したのは18の軍団である。
 一つの軍団には21870頭の象がいて、戦車の数も同じであるが、この数のそれぞれの位の数2,1,8,7,0を加えると18になる。一軍団の歩兵の数は109350人であるが、これも各位の数を加えると18になる。
 これだけ並べられると偶然とは思えない。ではなぜ18なのか?
 その答えは「3」である。インドでは様々な数が神聖視されているが、とくに3が大きな意味をもっているようだ。3の6倍である18だけでなく、3の7倍の21も、9倍の27も重要である。さらに最も聖なる数とされる108もまた3の倍数である。除夜の鐘の数も108である。これは「煩悩」の数だと言われるが、仏教の教えであるから当然インド起源だろう。
 数というものは組み合わせ方によってどんなふうにも解釈することができ、それが「数秘術」の根底にあると思われるが、それでもやはり3の倍数の役割は突出しているように思われる。
 ここで、軍団の数のように各位の数を足すと18などの意味のある数になるということは、『マハーバーラタ』においてすでに、ことばの上だけでなく、数表記の上でも、位取り表現が用いられていたのではないか、という疑問が生ずる。
(52ページ 『マハーバーラタ』の数あそび より)

かねてより「何章分おなじこと言わせるんじゃーい!」とならないクリシュナさんすごい…、と思っていました。11章であんなにサービスして小林幸子の紅白の衣装みたいなのまで纏って出てきたのに、まだ足りんのかーい! と。なるほどあれは中間の差し色。最初から18章分やる気だったのね…。

 

 

「ラック(lakh)」「コーティ(koti)」もハタ・ヨーガの教典に出てくる単位なので、以下はメモしたくなりました。

 最近インドで One lakh car ということばが、ある意味では流行語になった。これは「十万ルピー車」という意味である。インド最大のタタ財閥の系統に属する自動車会社が最近十万ルピーの普通乗用車「タタ・ナノ(Tata nano)」を売り出し、たいへん評判になった。現在では一ルピーは二円前後であるから、ニ○万円前後で普通乗用車を手に入れることができるというのである。ラック(lakh)は「十万」という意味で、古くからサンスクリットでは「ラクシャ」(laksa)として用いられている単位である。
 またインド英語で「一千万」(10の7乗)を意味する語は「クローレ」(crore)であるが、これもサンスクリットの「コーティ」(koti)に由来する。
(40ページ 十万ルピー車 より)

わたしはラックやコーティという数字が出てくる部分を読むと、いつも脳内で郷ひろみが「おーくせんまん♪おーくせんまん♪」と歌いだすのですが、そうでもしていないと数字が大きくて頭がおかしくなる。

 

ハタ・ヨーガの教典が書かれたのは11世紀頃だから病気などの知識については普通に外来文化も入ってきてるよね…と思いつつ気にせずにいたのですが、占星術書の場合は外来要素への言及があるようです。

 サンスクリットの文献はめったに外来要素について言及しないし、外来要素は伝播した後、長い時間をかけてでも巧みにインド化、サンスクリット化され、外来要素の痕跡をとどめないのが常である。しかし、占星術書にはギリシア語の術語の音訳が多く見られるし、数理天文学のほとんどの要素も、いかに巧みにインド化しても、ギリシアにその原型があることは疑いを入れる余地がない。このことを知っていた紀元後六世紀の天文・占星学者ヴァラーハミヒラは、次のように語っている。


 ギリシア人は野蛮人であるが、かれらの間でもこの学問(占星術)は正しく確立しており、かれらは聖人のごとく尊敬されている。いわんや天命を知るバラモンはそうである。(『占術大集成』ニ・一四)


 しかし、このようにインド人がヘレニズムの科学を熱心に吸収した時代は、起元後二世紀中ごろからのほんの短い期間であった。外来要素もいったんアーリア文化のなかに取り込まれると、後はそのなかで独自の発展をとげていくのが常である。それを端的に示しているのが天文学である。インドに伝えられたヘレニズム天文学はプトレイマイオスによって完成される前の段階のものであったが、いったんこれを導入してインド化すると、その語に西方で発展した要素を取り入れることはなかった。プトレイマイオスの体系がインドに伝えられるのは一八世紀になってからであり、イスラーム天文学を介してであった。
(91ページ ヘレニズムの要素 より)

 そのなかで独自の発展。なにしてくれるのだろう。


わたしはこの本を読むことでずっと気になっていた大きな疑問が解決したりして、おもしろくていっきに読んでしまいました。
そしてこれからはいちいち大きな数字にたじろがずにいられそうです。だってアーサナの数840万って、やっぱりおかしいもの!

 

インド数学の発想 IT大国の源流をたどる (NHK出版新書)

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