うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ほうれい線より眉間のしわを退けたい

ヨガクラスの前の雑談で「ほうれい線が気になる」という人がいて、わたしはあまりそこを気にしたことがなかったので「おでこのしわのほうが気になる」という話をしました。理由を言ったらみなさんうなずいてくれたので、調子に乗ってわたしの日常も含めてここに書きます。

 

わたしにはたまに一緒にコスメフロアをぶらつく同世代の友人がいて、彼女とは10年以上前にヨガ教室で知り合いました。それぞれ別の仕事をもちながらわたしはその教室でインストラクターをしていて、彼女は受付業務をしていました。以来お互い仕事に合わせた化粧・髪型の変遷を記憶しているのですが、「リフティング」に関しては双方の論理を合わせると最強。と盛り上がっています。
わたしの昨年後半からのコスメブームは彼女にひっぱられるかたちで起こったのですが、彼女がTHREEのコントラスト・デュオの素晴らしさを語ったあと、わたしが三点倒立の素晴らしさを語る。倒立して逆さまの時間を増やせば、いままでの時間を少しずつ取り戻せるというわたしの主張を「説得力ある!」とまじめに聞いてくれる友人の存在の、なんとありがたいことよ。
そしてわたしには、こうありたいという加齢に対するポリシーのようなものがあります。

 

 ほうれい線は三点倒立している間は消える
 でも、眉間の額のしわは倒立という技が通用しない

 

ほうれい線はこれまで笑ってきた時間とのトレード・オフみたいなところがあるけれど、眉間のしわはこれまで世界をむずかしくしようとしてきたことの証拠のようで、なんかいやなのです。
こんなにいやなのには理由があって、わたしは10代になってから水ぼうそうをやって、そのかさぶたの失敗傷のような凹みが右の眉毛の上にあります。これがときどき、別に困っていないのになにかを気にしているようなしわに見える。鏡を見ると、神経質そうに見える。
なので、額のしわについては「冤罪だ! これはシワじゃないんだ! ヘコみなんだ!」みたいな気持があります。「ぶつけたんじゃない! ぶつけられたんだ!」と凹んだ車が喋っているかのような。そんなこんなで、ほうれい線よりも眉間のしわに恥ずかしさを多く感じます。
わたしがヨガクラスで胸を開くポーズのときに

 

 眉毛と眉毛を離して

 

というフレーズを入れるのは、そういう思いが太く自分の中にあるからかもしれません。
ちなみに首の横じわはさらに気にしません。仏像みたい(=お釈迦様みたい)で、なんだか人格ができあがってきた感があって、いいじゃないですか。
こういうのって、リンゴよりもミカンが好きみたいなただの個人的な優先順位の話だと思うのですが、わたしはあまりほうれい線のほうは気にならないのです。

 

▼きっと逆さまで時間は取り戻せる、の根拠はこちら