うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

倒立は大規模な人事異動のようなもの。膝下部門には引っ込んでてもらって!


先日ヨガのクラスでした説明がおもしろかったそうなので、テキスト化します。
その日はビジネスマンが多く時期も時期だったので、倒立のときに起こるフィジカルのパニック(=メンタルブロックでもある)のしくみを「人事異動」に喩えて話しました。


倒立は、通常足で立っているのが逆さまになります。
で、詳しい理論はさておき(わたしには理論がいろいろあり、一部はここに書いてます
身体を会社に例えると、大規模な人事異動のようなものなのです。ジョブローテーションてやつね。
で、体制を変えていくときの重要なプロセスのひとつに、



 旧担当者に口出しをさせない



というのがあります。
役割をあえて、わざと変えるわけなので、そりゃ最初はコツをつかむまでに、感覚が沁みてくるまでに時間を要します。
なのでわたしも練習では「待って。感じて」と、よくいいます。




ブルース・リーの「Don't think feel.」とはまた違うニュアンスです。「待つ」という、認識の隙間みたいなのを大切にする。
認識の隙間に「いつもとはちがう体勢をとっているのだから、不安になるのは、あたりまえなんだ」という納得の種を植えていく。


・・・なんだけど、多くの人は「早くやっつけてしまいたい」という意識に火がついてしまって、これができない。
納得の種を植えるって、すごく大切なことで、わたしはこの工程を学べるのがヨガの醍醐味だと思っています。人は変化を好みもするけど嫌がりもする生きもので、自我が肥大化すると「好きな変化だけ、よろこんで受け入れたい」という発想になります。わたしはこれが生きづらさの正体じゃないかと思っているところがあり、なので「納得の種を植える」ということを理解する機会のおとずれを誘うべく、あの手この手で説明を試みます。



認識の隙間のようなものは、「隙間」なので、とらえにくいです。なのでつい、知っているなにかで埋めたくなります。
この不安に火がつくと、「早くやっつけてしまいたい」ということになります。心の火事は、誰が消す?



大規模な人事異動をやれば、当然、はじめは仕事がスムーズに回らなくなりします。
そんなの、想定内です。

倒立でいうと、このへんのプロセス。
 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓



で、ちょっとグラッとすると



 大丈夫? 手伝おっか?



と、足首先輩が助け舟を出そうとして、動こうとする。
女性は特によくわかると思いますが、かかとの細いヒールを履いて歩いて、ちょっと足元がクラッとすること、ありますよね。それを足首と膝が、その揺れを吸収してくれている。なので、「クラッ」を感知すると、足首がつい動いてしまう。足首先輩は、もうずっと足首先輩だから。
でも先輩、営業部から総務部に異動になりましたよね。営業部が案件を確定させる前に、「おっ。それ何?」なんて口を出したら、新しい営業部の人が集中できませんよ。



 いまは、逆さまになろうとしているんですから。



倒立をしようと思って腹筋部が下半身を持ち上げている最中に、一番じっとしててほしいパーツが動くと、脳がパニックを起こします。というか、「誰かがやってくれんのかな」みたいな、甘えに似たなにかが発動します。これは言語化するのがたいへんむずかしいのですが、まえに少しだけ「お口のバンダ。ことばだけを崇めても、なにも起こらない」というタイトルで書きました。
逆さまの状態で、旧部門(立位の状態)の部位が仕事をしようとする。これが、身体の記憶が、変化と進歩を妨げる。



 そこ、いまはできるだけ気配を消して、おとなしくしててくれないかな。



とまあ、そういうことなんです。必要な抑制を必要なときに出せるか。パワーではなく、フォースのほうです。



普段立ってるときに、頭を動かしたら、安定しないですよね。
90度のお辞儀をして、頭を振りながら安定して戻ってこられないですよね。
そんなことしたら、お辞儀をした意味が…(笑)。てか、アホよね。
人は脳内で制御がうまくいっているとき、ポライトな動きができる。わたしがよく「エレガントにお願いしますよ。エレガントにね」と言うのは、それが理由です。これはわたしがインド人の親方によく言われた「gently」の日本人向けの、女性講師バージョンの訳です。



とまあそんなわけで、倒立は身体を使ったイノベーションの練習なんですね。もうすぐ4月なので、今日はわざと意識高い系のワードをふんだんに盛り込んで書いております。文字に色なんかつけてみちゃったリしてね。ヨガの哲学的な側面でいうと、意識は「高い低い」ではなく「細かいか粗いか」なので、そもそも高い低いという基準で話すことはないのだけどね。


まえに「よろめいても大丈夫、と思える生活のためにヨガをしている」と書いたのですが、慣れたことばかりしていると「好きな変化だけ、よろこんで受け入れたい」という我欲が膨らみ、イレギュラーな事態に弱くなる。わたしはいつも、これがいちばんこわいと思っています。そういう思考に陥りやすいリズムを何度も観察して、それでも磐石にはならないことを知っているからこそ、つきつめたくなる。その繰り返し。
そういうスパイラルに陥らない思考をつくるのに、ヨガのアーサナの練習はすごくいい。こういうことに対しては、わたしは瞑想やプラーナヤーマよりも、アーサナのほうが直接的に入ってくるし、いいんじゃないかなと思っています。ヨガが宗教じゃないというのなら、アーサナに走るよねってのは法則として自然なことと思っています


倒立のほかにもいいメニューはいっぱいあります。ヨゴれたオトナのチャクラーサナや、バカーサナからのジャンプバック、ウッティッタ・ハスタ・パタングシュターサナ、アルダ・チャンドラーサナなどもそうです。スーリヤ・ナマスカーラBにもその要素があります。バランスのむずかしさは、だいたいこの人事異動後の仕事の習得のむずかしさに似たもの。
まあそんなこんなで、いまは余裕がない人も、いつかどこかでヨガなどしてみて、あとはおうちでやったらよいのです。
ブランクがあっても、自転車に乗るようにまた思い出せます。身体のメモリが記憶してくれていますよ!



▼わたしからのちょいとお知らせ
東京でヨガクラスを開催しています。以下のフォームでお知らせ・受付しています。
身体をしっかり使ってバランスを整えて、元気に過ごしてまいりましょう。
ssl.form-mailer.jp