うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

三点倒立ができると、腰と腹でも考えられるようになる。そして頭は休まる


まえに「倒立は大規模な人事異動のようなもの。膝下部門には引っ込んでてもらって!」というのを書きましたが、今回は少し頭にフォーカスして書きます。
三点倒立は、自転車の乗り方を習得するようにコツをつかんで乗れたら再現性が高いまま着実にいける人もいれば、そうならない人もいます。後者の人は、頭でモノゴトをコントロールできると考える信仰が強すぎるかもしれません。あたま信仰。
頭でっかちというよりは、時代的にそういう感じ(あたま信仰)になっていくものと思っています。



 勉強熱心な人ほど苦戦するのが三点倒立であり、
 それは、別の視点でいうと
 「たいへん救いのあるところ」でもある



わたしは倒立やアームバランスなど、脚以外のところでバランスするもの全般の練習に、こんなことを感じています。
救いがあるというのは、「王道を歩いてきたはずなのに、うまくいかない」「勉強したのだからうまくいくはずなのに、うまくいかない」という状況に立ち向かう力をつけてくれるから。
たとえばなにかの機会を得ようとするとき、「よいとされる手続きを踏んだのだから」「資格を取ったのだから」「成功した人と同じルートを選んだのだから」という手堅さだけではどうにもならない基準があちこちにあって、勉強熱心なほど、いろいろなことのハードルを自分であげてしまったりする。でも世のなか、手堅さだけではどうにもならないこともある。
そんなときにいつものスタンスでふんばっても、展開しない。別の角度の視点が流れを変えてくれる。



 頭を涼しくするのは、おとなになると、むずかしい



三点倒立の練習中には、この「頭を涼しく」の状態を作るために、腹筋と背筋の感覚を小分けにしていく感覚が育ててくれるようなところがあります。


練習の過程では、身体のグラッ、グラッという揺れと不安を乗り越えていくことになるのですが、この「グラッ」でいっきに頭に血が上ってしまう。多くの人が投げ出したくなってしまうのはここで、自分の感情を自分の不安の火であおってしまうことに耐えるのがつらい。つい、ひとりごとも多くなったりします。



 ひたすら、思考を頭以外の部門に分散しつづける



むずかしさの理由は、心の容器である身体が逆さまになることで揺れる、感情のコントロールにあります。物理的にはむずかしくないんですよね…、三点倒立は。
感情の揺れからくる負荷を身体のあちこちへ分散していかないと脚が上がらないのだけど、頭でがんばればなんとかなるだろうと、普段の信仰を採用してしまう。あたま信仰。
でも神さまは、しれっとおへその奥に移動している。


こういう直観を得るのに、倒立やアームバランスは、やっぱりすごくいい。なので、普段のクラスでもメニューに入れるようにしています。
いまはスマホの普及で調べたいときに検索できる端末が身近になって、今後ますます指先と頭だけでがんばろうとしたり、情報だけを得て安心することが増えていく。でも生きていくうえでは、ワイルドセンスが必要なときもある。
ヨガは、ワイルドセンスを育ててくれます。