うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

過去の自分の不完全さに怒り続けること

先日、どう考えても感謝が前面に立つしかない状況の中で、過去の自分の不完全さに怒り続けている自分に気がつきました。
ちょっとした会話をきっかけにわたしの過去の作業の手違いに気づいた方が、最悪の事態を避けるべく調整の提案をしてくださったのです。その時間は100%、ありがたい時間。でありながら同時にもう一人のわたしがグツグツと過去の自分の不完全さに怒り続けているのです。まあ平たく言うと後悔です。


近ごろわたしたちが共同で使う機械のシステムが大きく変わったので、もしかしたら一時的にトラブルが多いのかもしれません。いずれにしても、その人が水際でわたしの作業ミスを見つけてくださった。作業をしたのは昨年なので、システム変更とは関係なく完全にわたしの凡ミスです。


以前、逆のパターンもありました。先方のミスの被害がわたしに及んだことがありました。そのときは、まあそういうこともあるわなという感じでした。人間なので間違いはある、と他人のことは思えるのに、わたしは過去の自分に対してはひきずる。
怒りかというとそうでもなくて、やったつもりなのにできていっていなかったことが悲しい。過去の自分と現在の自分と未来の自分が地続きになっている。

 

 

 過去と未来のことを考えている瞬間は、"いま" を殺している

 

 

もともとは英語だったものをなにかで読んだのだったかインドに住む友人から聞いたのか、両方でもあったように記憶しているインド人のことば。いうたら諸行無常なのだけど、わたしにはこの文字列がしっくりくる。


今日書いたような葛藤の要因は、平たく言えば完璧主義。うーんでもこれ、主義じゃないんだよな。漠然とした完璧前提。だって、できていると信じていないと、その延長線上にあることができない。だから主義というよりも、「もしかして炊飯器のスイッチ入ってなかったとか!?」というときの、あの感じだ。
わー。スープを上手に作れたー。わーい。おなかもペコペコ~。

 


  ・・・あれ

 

  ・・・もしかして

 

  Σ( ̄ロ ̄lll)

 

 

この感じだ。いまからスイッチを入れるか、なんならコンビニでパンを買ってくるか。

 


わたしがヨガを長くやってきてよかったと思うことのひとつに、怒りや焦りや恥の感情の分解・照合をする方法論を見つけた、というのがあります。
漠然と過去の自分の不完全さに怒り続ける火に呑まれて火だるまになって周囲から見て意味もなく機嫌の悪い人に見える状態になっているというリスキーな露出が減り、「うーん、これ、これは…。あ! ごはんのスイッチ入れてなかったときと同じやつだ!」という作業を心のなかでしている。その間、顔はボケ~っとしているのでそれはそれで外部に与える印象としてはリスキーなのですが、わたしは眉間にしわを寄せているよりほうれい線のほうがええじゃないか党です。


 

 

余談:
── これが、先週の高田馬場ヨガクラス前のゴタゴタの内実でした。
深く、深くお詫びいたします。来週からまたいつもの仕様に戻ります。

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深かぁ~く。